piece.02
酒場にて
ホルンは、エポナ村から徒歩でも半日ほどで到着する街である。規模は大きくないものの、北と東と西の三方向に街道が通じており、旅の中継地点として人や物の往来が盛んだ。
日が登りきる前に街へ到着したソロは、見慣れた通りを抜け、細工師として店を構える父親の元へ向かった。ほんの小さな頃からごくごく普通に通っている街並みは、今日も穏やかな賑わいと共にソロを出迎えてくれる。
父ムジカは急ぎの注文のため、春の宴の後すぐ街へ戻っていた。ここ数日は泊まりがけで仕事をしているから、こうして顔を合わせるのも久々だ。
前もって話したこととはいえ、改めて旅立ちの挨拶をするのは緊張する。だが何にしても、はっきり「いってきます」と伝えたかった。
「おはようございますお父さん……、ってあれ?」
細工屋に足を踏み入れ、中をぐるりと見回す。天井近くには光採りの窓が並び、店内は明るい。そのカウンターに、人の姿はなかった。
見事な意匠が特徴の小さな釦、祝福の言霊が彫り込まれた木の腕輪。素朴な装飾品の数々が見本として硝子を張った棚の中に並んでいる。
都に比べれば華やかさには欠けるが、それらは不思議な調和を見せてソロの目を惹く。こんな物を作ることができる父が誇らしく、誰にでもなく自慢したくなる。見る者を惹きつける仕事は、少年の憧れだった。
しかし、肝心の本人はどこにも見当たらない。作業場の方かと思い、続き部屋になっている店の奥を覗いてみたが、ムジカの姿はなかった。細工屋は完全にもぬけの空だ。
「……呼んだの、お父さんからなのに。どこ行ったのかな」
店先に掛けられた札を確かめると、「OPEN」のまま。ほんのちょっとした用事で出ているのかも知れない。
だがソロは、繊細な仕事に反しムジカの人柄がひどく大らかであることを知っていた。仕事を終えた彼が浮かれて、店の管理を忘れたまま外に出て行った──という可能性も、ゼロではないと思う。もちろん、あまり考えたくはないことだが。
ここでいつ戻るとも知れない父親を待つか、近場へ探しに行くか。試しに十分ほど待ってみたが、ムジカは帰ってこなかった。
「あぁ、これは忘れてる」
表の札を「CLOSE」にひっくり返し、念のために鍵をかけてから細工屋を離れる。
ソロが通りを歩きながら父親が行きそうな場所を考えていると、すぐ傍の店の中から硝子の割れる音が聞こえてきた。続いて男の喚き声のようなものも。
咄嗟にそちらを見ると、頭上に酒場『陽気な小鹿亭』の看板が目に入る。ソロ自身よく連れて来られていた店で、酒好きなムジカがここにいる可能性もある。
またそうでなくとも、唐突な物音に興味を引かれないはずはない。同じく何事かと立ち止まっている者もいたが、それもごく僅かな間だ。酒場にはよくある日常と無視を決めたようで、すぐに通り過ぎて行った。
ソロが開いた入り口から中を窺うと、店内に並ぶテーブル席に着いた野次馬達がやんやと喝采を挙げていた。中心となっているのは、入口正面のカウンター席にいる二人の客だ。
片方は日に焼けた褐色の肌を持つ、屈強な体格の大男。何やら激昂した様子の大男と向かい合っているのは、華奢で線の細い青年だった。
そっと店内に入りながら、ソロはより近くで様子を窺う。
「ふざけんなよ!!!」
赤ら顔を憤怒に染めた大男の拳が、ガツンとカウンターを叩く。足元には割れたグラスと、その破片が散らばっていた。先程聞いた音の正体は、これか。
「なめてるのか、俺の分がこれだけだと!?」
「言ったはずだ、俺とそっちで七対三。自分は魔物退治で腕試ししたいだけだから、その条件で良いと了承したのはあんただろう」
「にしたって、あれだけ難しい依頼で報酬が三ノースぽっち!? タダも同然だろ!!」
青年は冷ややかな一瞥を相手に投げ、うるさそうにカウンターのリフ銅貨を男に押しやる。
「最初から話を聞こうともしなかったくせに、俺が請けた仕事で文句を言われる筋合いはない」
大男と違い、青年の態度は至って落ち着いていた。ふわりとした若草色の巻き毛は左肩の辺りで緩く束ねられ、長い前髪が顔の右側を半ば覆い隠している。中性的な顔立ちの美人で、ソロも思わず見惚れていた。
彼らはどうやら仕事の報酬で取り分に関して揉めているらしいが、冒険者という名の便利屋稼業をしている人間達の間ではこういったトラブルも珍しくないのが現状である。まして、ここは酒場だ。
だが傍目で見ているソロには、大男の言い分が正しいようにはどうしても思えなかった。大男が今にも青年に殴りかかろうと拳を振り上げたのを見て、ソロは部外者という立場も忘れていた。
「やめてください。大人げないですよ、おじさん」
青年を庇うように、二人の間に割って入っていた。青年の眉が小さく顰められる。
「あぁ? 何だこのガキ!?」
「やめとけ坊主、サズは気が短いことで有名なんだよ」
「そうそう、子供が大人の諍いに首突っ込みなさんな。 怪我するぞ」
「ソロ坊、危ないから口出すなって」
相当頭に血が昇っているらしく、大男はこめかみを引き攣らせている。小柄な少年が突然入って来たことに、見物していた他の客達も驚いたのだろう。ソロの顔を知る客は心配までしてくれる。
ソロもそこでさっと冷静になり、自分が何をしたか気付く。
「……僕は子供じゃありません。独り立ちして、これから旅に出るんです。もう、立派な大人です」
しかし、今更引き下がれなかった。頭を振り、まっすぐに大男を見上げる。
「交渉が決裂したからって、暴力に訴えるのはどうかと思います。お話を聞いていても、そちらの早とちりが原因だと思います」
一体誰の影響なのか、非力なのに正義感はあるソロだ。いくら大男が強そうでも、理不尽に対し否を唱えずにはいられない。
「ガキはすっこんでろ!」
「わ……ッ!」
酒気を帯びた相手がこう来るのも、ある意味予想通りではある。勢いよく突き飛ばされ、ソロは背が高いカウンターの縁に頭をぶつけた。衝撃に食器が揺れて耳障りな音を立てる。
「あうう……」
痛む頭を抱えてカウンターを見上げたソロの額に、小さなスプーンが落ちてくる。グラスで更に怪我をしなかったのは幸運だった。
「……おい」
微妙に明滅する思考の中、ソロの聴覚が小さな舌打ちを捉える。次に、“カチャ”という金属音が聞こえた。
振り返ると青年が席を立ち、サズと呼ばれていた大男の額にぴたりと何かを突きつけている。
「(……銃?)」
ソロは間近に見て、頭の中からその道具に関する知識を引っ張り出した。
銃は中に火薬などを詰め込んで作った弾を入れて撃ち出す、殺傷力の高い武器だ。だが量産できる技術がないことや部品ひとつ取っても高価だという理由で、近隣でこの武器を扱う人間は滅多にいない。何せ、入手すら難しいのだから。
青年が今持っているような小型の拳銃ともなれば、尚更である。実際ソロも本で知識を得ただけで、本物の銃を見たのはこれが初めてだった。
しかもよく見れば、この青年は銃を納める入れ物──ホルスターを腰に二つも吊っているではないか。
銃口を押しつけられた大男は、自分が何をされているのか分からないらしい。青年の鋭い視線を受け止めたまま、せせら笑うように口元を歪めた。
「そんな玩具で何しようってんだ? 兄ちゃんよ」
「……空っぽな頭の風通しをもっと良くしてやるよ、あんたの言う“玩具”でな」
青年の視線が、ひと回り温度を下げる。
青年の空気に気圧されたのか、サズの顔から徐々に余裕が消えていく。青年が本気であり、嘘を言っていないことを悟ったか。ついには青ざめ、震え始めた。
「……ヒ、ひいいいいいいいい!!」
青年の指が弾を撃ち出すための引き金を引く。サズは、声にならない悲鳴を上げた。