Phantom of the Emerald Page.05

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 『不慮の事態で不足した薬材の採集』。

 ハーシェルがラッドに提示した課外活動の目的は、とても簡潔だった。実際幼児化したハーシェルと遭遇した直後、薬瓶やその中身がいくつも床に落ちて駄目になっていたのをラッドも見ている。

「緑豊かな場所に赴き、自然の魔力を感じ取る能力を養う……魔術師として基礎の基礎、本来なら一年生で受けるべき課外授業だ。それにヴァニは専攻学科での成績も優秀だし、薬材採集の監督生として説得力は充分ある」
「先生の確かな眼に敬意を表する! 生徒の一人として、また彼らの友として、ボクは与えられた責任を必ず果たすと誓おう。安心してくれたまえ」

 監督生という重役を任され、イオンは得意顔だ。確かに今回の目的や必要な知識・第三者への報告や傍目からの説得力を考えても、リーダーには彼が最適だろう。──この突拍子のない挙動さえ気にしなければ。

 喜びからか舞うような動きを見せているイオンを横目に、ラッドはそう納得した。

「元より私はこの姿だ、それらしい演技をしてやってもいい。場に居合わせたお前達の役割に緊急性と説得力が増す」
「それだとオレ達が使いに出る前に、先生が病院に運び込まれると思うんですが」
「つか、センセがそんなこと言っていいんスか?」
「何故だ?」

 ラッドとソニアの問いに、ハーシェルは何かおかしいことでもあるのかと肩を竦める。

「【生徒が学舎内で命の危機に晒されるような環境を傍観している】、と突かれる方が学院側には不都合なはずだ。表向きの動機は穏便に済ませて、切り札にした方が後々役に立つ」

 これが学院教師の台詞である。どうかと思う点は多々あるが、彼が生徒を想って言っているのは明白だ。ラッドは真剣に頷いた。

「責任者の同行がないのは問題だろうし、そちらは信用できる者に任せるつもりだが……まぁそう気張るな。好きなように学んでこい」

 ハーシェルはラッドを見上げ、そう目元を緩ませる。治癒室を出るその時まで、ジェリスが物言いたげな表情でハーシェルを見つめていたことにラッドは気付かなかった。


栞【教師と精霊】


「……何か、朝からここまでえらくトントン拍子で決まってたけど。おじさんとおばさん何て言うかな」

 帰る道すがら、ラッドはぽつりと零す。朝の授業で初めて課外活動に誘われてから、日も置かずにここまで話がまとまっていることに驚いていた。最難関に当たる教師の許可が早々に降りたおかげで、残すは保護者の説得のみである。

「ラッドは心配性だなー。大丈夫だって」

 泊まりがけの外出で保護者の承諾を得るのは当然だが、それも簡単な話だろう。ソニアが知る限り、両親は主にマシエの性質を反映した放任主義だ。あの大らかな父であれば、快諾を疑う余地はない。──はずだった。


「ダメだ」

 ソニアのそんな見通しは、当の家主の返答によってあっさり砕かれた。その日の夕食を済ませた席で、子供二人が揃って話を切り出した時のことである。考えるような間もごくごく短いもので、ソニアは一瞬ぽかんとして父親を見つめた。あまりにも結論が早すぎるではないか。

「何でだよ? センセの許可はしっかり貰ってるし、ラッドだって昨日の今日で」

 昨日の今日で、また危ない目に遭うかもしれない。そう言いかけたところで、腕を引かれる。ソニアが隣のラッドを窺うと、それ以上の言及を厭うようにラッドが目を細めた。大階段でのことは、話すなと。

 外泊許可を取り付けるだけなら、ハーシェルが言っていた「一年の時に受けられなかった魔法実技授業の一環」だけで事足りるのだ。今回向かう場所とその目的。出発日とおおよそ見込まれる日数、一緒に行く相手の名前に、許可を出した責任者である教師。連絡事項として保護者に伝えるべき要点は、全て押さえてある。これだけ情報量があれば充分だろう。

 経緯を詳しく追及されれば遅かれ早かれバレてしまうことだとしても、大階段の一件で養父に余計な心配をかけたくないというのがラッドの気持ちである。

「俺がダメだ、っつってんだからダメだ。あそこには──」

 何か言おうとして、マシエは口を噤んだ。

「何だよ」
「何でもねぇよ」

 食い下がる息子を追い払うように、マシエはひらひらと手を振る。それ以上聞く耳を持たぬといった様子で部屋を出た父親に、ソニアはあからさまな渋面で舌を打った。


「あの頑固親父め」

 ベッドにどかりと腰を下ろし、ソニアは舌打ちする。日頃寛容な父からの「却下」という予想外の展開に、少年二人はどうするべきかと真剣に顔を突き合わせていた。

「……まさかのまさかだな。否やが出るなら絶対学院側からだと思ってたけど」
「今までなら、何するにもあっさりオッケー出してたくせにさ。肝心かなめの時にコレかよ……」

 加えてラッドが気にかかったのは、マシエの様子である。帰宅後に見た彼が少しピリピリしているように感じたのは、自分だけだろうか。それとも自分に後ろめたいことがある分、言外で責められているように見えただけなのだろうか。

「たまたま虫の居所が悪かっただけなら、明日また頼むって手もあるけど……アレだと難しそうか?」
「あぁ、近々護衛の仕事があるとか聞いた気がする。それで気が立ってんだろうけど、家庭に仕事のストレス持ち込むとかないわぁ……ん?」

 そこでソニアは、身を沈めていたベッドからがばりとはね起きた。何を思いついたのか真顔で指を折っていたかと思うと、その口角がにやりと吊り上がる。

「……いけるかもしれないぞ、ラッド」
「何が?」
「課外活動。親父さ、週末辺りから件の仕事で何日か留守にするはずだからな。一度出かけちまえばこっちのモンだ」

 ラッドは目を丸くした。そんなことができるのだろうか? とても惹かれる反面で、躊躇する。居候の身でありながら、その庇護者を欺いてまで出かけるというのは気が引けた。

「こっちだって泊まりがけだし、おじさんがいなくてもおばさんはいる。そこまでするか……?」
「ラッドは聞き分けよすぎ。些細なこと気にしてやりたいこと我慢してばっかだと、病気になるぞ?」
「些細か? 世話になってる人間が初めて駄目だって言うことだぞ、迷うに決まってる。おじさんが断るのだって、それなりに理由があるんだろうし」
「今回のことだけじゃない、お前、基本そうだろ」
「性分なんだ、仕方ないだろ」

 いつになく熱を込めたソニアの口調に、ラッドは内心疑問を覚える。何故彼は、こうも必死になるのだろう。昨日今日の話ではなく、ここのところソニアはずっと何かに憤っていた。

「大体お前、何でそんなに苛立ってるんだ? 最近ちょっと変だぞ」
「……何でって……」

 返事がないことにラッドが顔を上げれば、ソニアはまるで頬を張られた直後のように呆然としていた。ひどく衝撃を受けたような、そんな表情だ。

「……お前まで、【仕方ない】って言うのかよ」

 先程までの勢いに反して静かな声は、震えている。ソニアはラッドを睨むと、言葉をかける間もなく踵を返して部屋を出て行ってしまった。


『揃って気性が荒いのは、親子の血筋なのか?』

 乱暴な音でドアが閉まった直後、入れ違いにジェリスがラッドの部屋に戻ってきた。

「聞いてたのか」

 机に突っ伏して俯くラッドからジェリスの顔は見えないが、呆れられているのだろうか。

 自分はソニアのようにはなれないし、彼のように考えることはできない。そんな愚痴じみたことを彼に伝えるべきではなかったし、実際に言われてソニアは傷付いた様子だった。彼に謝らなければいけないと思うのに、その気持ちをどう言葉にしていいのか分からない。自己嫌悪にどんどん気持ちが沈んでいく。

 ラッドは大きく息を吐いて、重い空気を吐き出した。最初はあんなにワクワクしていたのに、心が急に萎れてしまったかのようだ。

「……課外活動、行くよ。おじさんには悪いけど、仕方ない」
『それはどちらの意味でだ。楽しそうだと目を輝かせていたものに、お前は【仕方ない】という気持ちを抱えて行くのか』

 鬱々としているラッドの背後から、ジェリスが尋ねた。

『ソニアが怒っていた理由は見当がつかないのか?』
「理由……?」

 ラッドは自分を大事に想う誰かに対しても、容易く自身への諦めを口にする。ソニアやイオンとかいう子供と違って、選択の意志が希薄すぎてどうしたいのかがはっきり見えない。自分のことに関しても、視点がまるで他人事だ。ジェリスには、そんな主の様子が不思議でならなかった。

『アイツが怒っていた理由だ。お前達は、親友なんだろう?』
「……あぁ」

 返事には、少々間があった。

 何故だろうか。ジェリスの目に映る今のラッドの背中は、ひどく空っぽで言いようのない空虚さを抱えていた。





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