Phantom of the Emerald Page.04

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 ラッドの隣を歩くジェリスの様子は、至って平然としたものだった。精霊契約後に学舎内を歩くのは初めてにも関わらず、主人と並ぶ守護精霊の姿は堂々としている。

 実際何人かの生徒達とすれ違ったが、ジェリスに目を留める者はいない。容姿だけなら人間そのものであるせいか、彼が学院の教師だと言われればそのまま信じてしまいそうな貫禄さえあった。

「何というか……違和感ないな、お前」

 これまで周囲の視線を慮っていた自分の気遣いは何だったのかと、ラッドは小さく息を吐く。

『冷やかしは鬱陶しいだけだが、俺自身やましいことは何もない。お前にはあるのか』
「……どうなんだろう」
『歯に何か詰まったような物言いだな』
「だってさ、言ってみればオレは……」

 その時。二人がいる廊下のすぐ近くから、誰かの声が聞こえた。何やら強い語調に耳をそば立てた直後、今度は硝子の割れる音が響き渡る。

「何だ!?」
『大分近い。先の部屋か』

 ジェリスは既に音の発生源を探し当てていた。彼の言う「先の部屋」とは、治癒室のことだろう。あと十数歩程度の距離を駆け、急いで治癒室の扉に手をかける。

 しかし中に入ったところで、ラッドは普段の数倍は濃い薬品臭に顔をしかめた。

 驚いた理由は、何も薬品臭だけではない。治癒室に入って最初に目に入る大きな薬品棚の前に、知らない子供が座り込んでいたからだ。

「……何が起きたんだ」

 かろうじて拾った呟きは、妙に冷静だった。子供は見るからにぶかぶかな大人もののローブを纏っており、年齢は七、八歳といったところだろうか。その足元には割れた薬瓶の中身と思しき液体が零れ、硝子の破片がいくつも散らばっていた。部屋の様子を見たジェリスが微かに片眉を上げる。

 こんな幼子が一人でここにいる理由は分からないが、怪我をしていたら大変だ。自分が手当てを受けに来たことも忘れて踏み出そうとしたラッドを、我に返った子供本人が静止する。

「まだ動くな、そこにいろ。すぐに片付ける」

 幼く高い、しかしとても大人びた声音だ。

 ふと。ラッドへ待機を促すように広げた掌の向こうで、子供の表情が一瞬怪訝そうに顰められた。視線を手元に降ろして、子供は僅かに目を剥く。

「仕方ない、な」

 驚愕とも落胆とも取れない顔を見せたのは、一瞬だけ。子供がパキンと鳴らした指の音を合図に、周辺から魔力の風が巻き起こった。

 床に散らばっていた破片や液体が見る間にかき消え、整い、元通りになっていく。ついでに、子供の纏う服の大きさまでがその身の丈に合ったものへと変化していった。

 すっかりいつも通りになった治癒室の様子に、ラッドとジェリスはしばし言葉を失う。大がかりな魔術を一瞬で発動させた当の本人は、深呼吸の後に改めてラッドを見上げた。

「さて、待たせてすまない。要件は怪我か、体調不良か?」
「……ちょっと待ってくれないかな。養護の先生は?」

 いつも見る養護担当の教師がいないことに気付いて、ラッドは思わず尋ねる。さも当然のような顔で指示を出しているが、そもそもこの子は一体誰だ。

 目の前にいるのは、青と白を基調とした法衣に身を包む吊り目がちの少年。落ち着き払った様子はまるで子供らしくないが、毛先がはねた水色の髪と菫色の瞳にはどこか既視感があった。

「家庭の所用で休暇中だ。彼が不在の数日間は、代わりに私が利用者を診ることになっている」
「……えぇ……?」

 まったく腑に落ちないのだが、多様な人型種族の中には、容姿と実年齢が一致しないものも多くいる。この少年も教師の一人なのだろうか? もしそうであれば、以前見た召喚試験の担当教師といい、臨時の入れ替わりが激しいことだ。

『この学院では、【子供】にも生徒の世話を任せるのか?』

 さらりとそう言えてしまうジェリスも只者ではない。しかし少年は、ジェリスの疑問に首を横に振った。

「子供じゃない……と言っても、このナリでは分からないな。私だ、ハーシェルだ」

 あっさりと、何でもないような顔でそう告げる。ラッドは開いた口が塞がらなくなった。

「え……えっ? ハーシェルってあの、先生……?」
『こんなガキが?』

 言われて見ればこの少年は、見た目も雰囲気もラッドが知る教師によく似ていた。ジェリスも一度ハーシェルと面識があるせいか、不可解そうな顔をしている。

「…………調べもの中、誤って棚から落ちた薬品類をまとめて被った。それらの作用が混ざって、このザマだ」
「まとめてって……大丈夫なんですか? 身体の具合は」
「特に問題はない。あまり効力が長いようなら、専門の術師なり医療施設なりに頼るべきだろうがな。今はお前の用が先だ」

 ハーシェルは言いながら肩を竦める。突然の異常をそんな些末事のように片付けていいのかとても気になったが、教師本人が追及していないので、ラッドはそれ以上聞くのを諦めた。

「休み時間中、廊下で後頭部を強く打ったんです。頭だし、診てもらうべきかと思って」
「後頭部を? どの辺りだ、怪我した時の状況は?」

 勧められた診察用の椅子に座ると、後ろに回り込んだハーシェルの手がラッドの頭に触れる。当然と言えば当然の質問に何と答えるべきか悩んで、ラッドは黙り込んだ。

「エイディウ? ……何があった」
『ラッド』

 再び問うハーシェルとジェリスの声に重なって、治癒室の扉が開いた。ソニアとイオンが慌てた様子で部屋に入ってくる。

「ラッド、大丈夫か?」
「エイディウ! 大丈夫かい?」

 第一声までが見事に合わさった。頭を支えられているため、ラッドは入って来た二人の様子を目だけで追う。

「ん。何でヴァニもいるんだ?」
「リュノーが壁殴りという典型的憂さ晴らしに興じてるところを、たまたま見かけてね。事情を聞いて心配になって付いて来ただけさ。まったくタチの悪い輩がいたものだ」
「興じてねぇよ。つーか、何だこのチビッコ?」

 幼い姿となった教師を指して、ソニアが首を傾げる。ラッドから端的に事情を話すうち、みるみるその目が大きく見開かれていった。


「……ひとまず異常はないな。外傷の応急処置は済ませたが、吐き気や眩暈が出たらすぐ言うように」

 ラッドの手当てを終えたハーシェルは、言いながら包帯をしまった。ソニアから大階段での事故について聞いた彼の表情は苦く、ラッドの方が申し訳ない気分になってくる。

「そんなことになっているとはな。気付かなかった私の手落ちだ……本当にすまない」
「……オレは、ここにいて良いんですか?」

 ハーシェルの謝罪に対し、そんな直球の問いがラッドの口を突いて出る。ソニアが顔を顰めた。

「お前な、何でそういうことを……」
「実際、この学院での異物はオレの方だ。なかなか馴染めないこと自体は……これから時間がいるのかなって思う。でも階段でのアレは、そういうモノじゃなかっただろ」

 自分が得るべき知識を得るために、学院に入った。不当な圧力に負けたくないという一心で、ジェリスを再び顕現させた。ラッド自身それらの行為が間違っていたとは、絶対に思わない。ただキリンスとの賭けをした時と今とでは、前提条件が違うのだ。ラッドは依然変わらぬどころか悪化したような自身の状況に、ひどく困惑していた。

「学院のシステムからしても、非魔術師だから駄目なんだと思ってたんだよ。けど力とか資質の有無じゃなく、もう【オレ自身】が拒絶されて歩み寄りもできないとしたら、最終的にどうするのが正解なのかなって……」
「確かに、さっきみたいなことがいつも起きてたらたまったもんじゃないけどさ。ここの連中、思った以上に腐ってる奴が多いみたいだし」
「……口が過ぎるぞ、リュノー」
「けっ」

 ハーシェルに窘められ、ソニアは不満そうに床を蹴った。

『……お前は、ここで学びたいんじゃないのか』

 黙っていたジェリスの静かな問いが、ラッドの胸に刺さる。そんなの当たり前だった。でも、そのために採るべき方法が分からない。

「生徒を守るのは学院側の義務のはず。第一、君を使って【気に入らない異物を力ずくで排除できる】前例を作ること自体、ボクに言わせれば論外であり愚行だ」

 眼鏡越しに見えるイオンの瞳は真剣だった。静かに、怒っている。かと思うと、その口元が微かに吊り上がった。

「そこで提案だ。先生、エイディウには学科選択の権利があると思わないかい?」
「学科……?」

 ラッドは目を瞬く。言われてみれば、聞いたことがあるような気がした。

「二年生は一年から継続の普通学科以外に、各分野に特化した魔法学科へ進級するかどうかを選択できる。編入もだな。実際に入れるかどうかは、個人の適性や成績によるが」

 ハーシェルがイオンの言葉を補足してくれる。ラッド自身も聞いてはいたが、何しろ初めて知ったのは魔術学院に来る前のことだ。その上学科選択どころではないような問題が山積していたため、すっかり忘れていたのである。

「攻撃対象を切り離せばいい、そういうことか。各魔法学科専攻になった場合、基本的な学舎が変わる」
「ボクはこの制度で白魔法学科に入った。これからのエイディウにとっても一番の策ではないかな?」

 この魔術学院が扱う魔法の分野は、他の魔法学校よりも手広い。適した学科に籍を移して学舎ごと環境を変えれば、今日のように身の危険を感じるような最悪の事態もなくなるだろうということらしい。そして何よりも──自分がしたい勉強をすることができる。

「……何かその……すごく、楽しそうだな」
「その通りだとも! というか、リュノーは知らなかったのかい?」
「あー、そういや僕も選べとか言われてたような……」

 ソニアの言からするに、学院側から生徒の学科選択を促すこともあるようだ。人材育成の面から見ても妥当だし、納得できる話だった。

「じゃあオレ達がお前をあまり見なくなったのは、学科を変えたからか?」
「そうだね。まぁ元々留守がちではあったけれど、その課外活動の成果を色々売り込んだのさ」

 相応の学科であれば、彼の気ままな行動も勉学の一環として認められる。イオンの周到な手回しに感心しながら、ラッドはそこでハーシェルに相談しようとしていたことを思い出した。イオンのフィールドワークに付いて行くためには、教師であるハーシェルの許可を貰わなければならないのだ。

「そうだ、ハーシェル先生。……ヴァニが申請しているイセンフェーナ市への課外活動、同行に許可を頂けませんか?」

 実技授業を受ける資格を得た手前、内申に関わりそうなことは承知している。それでも、好奇心が疼いて仕方なかった。
 
 大階段でのこともある。未だに怒りよりも驚きの方が上回っているが、あれは確固たる悪意だ。甘えていると言われるかもしれないが、学院内で否応なく感じる視線を避けて、少しだけ考える猶予が欲しかった。

「お前には、許可など必要ない」

 しばらく考え込むように黙っていたハーシェルは、苦い表情のラッドを見据えるとようやく口を開く。

「理由なら私が与えてやる。行きたければ、行ってこい」


 この教師は、知識欲旺盛な生徒の味方だった。





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