Phantom of the Emerald Page.02

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 学院に向けて愛車を走らせながら、ソニアは先に家を出たラッドを途中の道で拾う。正式にマシエから譲ってもらった機走浮盤のおかげで、少年達の通学事情はとても快適になった。

 しかしソニアには、ここのところずっと不満に思うことがある。

 ラッドがジェリスと契約して、既に一週間が経とうとしている。精霊契約を結び魔術師の才に目覚めたラッドが、今後魔法の技術を習得するための下準備は整った。

 ただ、それだけでラッドを取り巻く険悪な空気が劇的に変わるわけではない。それについては、いくら自分が気を揉んでも仕方ないことなのだと、ソニアでも理解している。

 だが、そうだとしてもだ。

 嫌がらせはする、陰口は叩く、私物は隠す。ラッドを見直すどころか、何ら変わることのない一部クラスメイト達の陰湿さに、ソニアは募る苛立ちを抑えることができずにいた。

 更には、彼らがふっかける諍いに巻き込まれたり攻撃されることを恐れてか、精霊契約前よりもあからさまにラッドを避けている同期生達が少なくないのだ。


 多分に含まれる親友としての贔屓目を抜きにしても、ソニアから見たラッドは努力家だと思う。

 日頃からそう感じているせいだろうか、教室の様子を見ていると、横柄でも自らの行いを恥じていたキリンスの方がどれだけまともだったか。今更になって痛感する。

 あるいは現在謹慎処分を受けている大将のキリンスが戻ってくれば、そのうち馬鹿なことをしているクラスメイト達も同調して静かになるかもしれない。ラッドはそう言っていたけれど、実際はどうなるのか。

 大切な相棒の名誉を理不尽に傷付けられるのは、ソニアにとってこれ以上ない屈辱だ。

 自分はきっと、仮に連中が態度を改めたところでそう簡単に許す気にはなれないだろう。そして、あちら側の人間もそんなソニアを好ましく思うことはないはずで。

 それは交わることのない平行線なのだ、と冷静に考える自分もどこかにいた。

「ソニア、運転荒い。スピード出しすぎ」
「何だよ、急いでるだけだろ?」
「機嫌悪いのは別に構わないけど、またぶつけたら殴るぞ」
「……わぁったよ」

 普段の運転中は心地よい風も、こんな気分では鬱陶しく感じるばかりだ。ラッドの言葉に頭を振ると、ソニアは機体の操作に意識を集中した。


 *


 澄んだ鐘の音が響き渡る魔術学院の朝。ソニアと共にラッドが教室の扉をゆっくり開くと、クラスメイト達の中でもひときわ目立つ褐色肌の生徒が二人を見つけて立ち上がった。

「やぁやぁ、久しいなエイディウ。元気にしていたかい?」

 肩まで伸びた淡い蜂蜜色の髪を揺らし、にこやかに出迎えてくれる。分厚い眼鏡越しに空色の瞳が輝いていた。

 大仰に手を広げ早足で近付いてくるその姿に、ラッドは一瞬固まった。

「ヴァニ、お前……」

 一歩後退して、彼の顔を見なかったことにしようかどうか。少し悩むが、どうあってもこの教室が一限目の講義を受けるための場であることに変わりはない。

 内心葛藤しているラッドの反応を意外だとでも言いたげに目を丸くして、相手が口を開いた。

「おっとひどいな、なぜそこで退くのかな」
「……なぜ、と言われてもなぁ」

 普段はいくつかの選択授業でしか顔を合わせる機会がないが、彼──イオン・ヴァニは、魔法を使えなかったラッドにも普通に接していた珍しい生徒の一人だ。それこそラッドがこの学院に編入した当時から、顔を見ればその都度声をかけてきた友好的な同期生である。

 それだけであれば、まだ素直に友人の存在を喜ぶべきだったのかも知れない。

 しかしイオンは、時折役者のような言動で自分の世界に入り込む癖があった。更に興味を惹かれたことに対して没頭する研究者のような面もあり、ラッドを【学院の貴重な異分子】と呼んでは逐一悩みを聞きたがるのだ。

「ボクがいなくて寂しかったからといって、そんな風に言わなくてもいいじゃないか」
「お前な……はぁ、久しぶり」

 反論を諦めて軽く挨拶すると、イオンは満足そうに笑って見せる。最初こそなかなか鬱陶しくて嫌がらせを疑ったが、彼の仰々しい物言いや口数の多さはラッド相手に限ったものではないようだった。おそらくイオン自身にも、全く悪気はないのだろう。

 良くも悪くも、彼はこういう人間なのだ。そんな諦めとも呆れともつかない前提が頭のどこかにあるせいか、多少苦手意識があっても普通に話すくらいのことはする。

「さぁさぁ、こっちへ。集中しやすい良い席があるんだ。きっと君達も気に入るぞ」

 嬉々としたイオンに促されてラッドが教室の中へ入ると、途端にお喋りの声が小さくなる。ソニアはフンと鼻を鳴らした。

 何だ、と問うまでもなく、ラッドは教室内にさっと視線を巡らせる。目が遭った生徒達が、弾かれたようにその席を離れて行った。

「……気に食わねぇ」
「幼稚、あるいは臆病なだけだ。放っておいてやるのがいい」

 ソニアを宥めるように言うと、イオンはそしらぬ顔で教室後方の席に二人を招く。それとなく集まる視線を意にも介さず席に着くと、すぐそばに並ぶ二つ分の空席をぽんぽんと叩いて見せた。

 苛立ちもあってか、ソニアはわざと大きな音を立てながら席に座る。ちょうど窓際で日当たりも良く、うたた寝にもってこいの場所だ。ラッドは自然と真ん中の席に納まり、ソニアとイオンに挟まれる形になった。

「……悪いな」
「お前も変わりモンだな。いいのか?」

 イオンのさりげない気遣いに対し、ソニアの台詞はどこか投げやりだ。

「気にすることはない、ボクにはあれくらい痛くもかゆくもないからな。それよりも」

 イオンはそこで身を乗り出し、ラッドの手を両手でぎゅっと握った。

「今日は君が魔術師としての力を得たと聞いて、 飛んできたんだよ」
「一体何日前の話をしてるんだ、お前」
「あぁ、ここしばらくティオルタを離れていたものでね。こうして復習用の資料ももらって来たワケさ」

 ぽんと手を打つと、イオンは鞄から四つ折りにした紙を出して机の上にざっと広げた。観光者に向けて書かれた街の広告だ。街を俯瞰した構図の絵の隣には、各施設の解説項目や特筆事項などがわかりやすく書いてある。

「……これ、ブレンフェルか? ノース区の?」
「そう。今回は主に話題の最新型機走浮盤に関して、製造工程を色々見学してきたんだ。よければこっちの地図はエイディウに、機走浮盤の広告はリュノーにあげよう。好きだろう? こういうのは」

 ブレンフェルはノース区のほぼ中央に位置し、王都ノースにも程近い貿易都市だ。国内の経済や文明にも、技術的な面で大きく関わっている。

「最新型って、親父が持ってるタイプのアレ?」
「お前が一度借りて、ぶつけて壊してたアレな」

 イオンにもらった大きな絵の広告に目を通しながら、ラッドはさらりと答える。

 実際ソニアの家にあるような機走浮盤の車体は、機工の発展したノース区の街で製造されたものだった。ティオルタの役所内でもそれなりの立場にあるマシエが、他支部との交流と広告塔、何より趣味を兼ねて最新型の機走浮盤を購入していたのを、ソニアも知っている。

「それにしても、お前しょっちゅうあちこち行ってんな。出席数足りてるんか?」

 ソニアが言えたことでもないのだが、日頃の態度から推測されるイオンの内申点は微妙なところだ。

 薬の材料となる植物や鉱石を始めとして、このイオンはことさら薬学の知識に長けていた。

 だが【自習】と称して調合する薬の材料を探しに出た挙句、そのまま数週間学院の授業を欠席することも頻繁だったし、まるで研究対象よろしくラッドやその他のクラスメイトに対して時々聞き込み調査をしては、興味深そうにメモを取ったりもする。

 そんな普段の言動や奔放すぎる自主勉強を踏まえてなお、全体的に首席ばりの成績を維持しているのがイオンのすごい所でもあるのだが。単純な授業の出席数に関する問題は、なかなかそうもいかないのではないだろうか。

「問題ないよ。『付け入る隙』さえ与えなければ、何も言われない」

 イオンはどこか冷めた目で答えると、「そんなことより、」と再びラッドの手を握る。ソニアよりも少々短いエルフ耳が、ぴこぴこと揺れた。

「今週末から、また薬学に関する自由研究へ赴くつもりなんだが……ぜひ君を誘いたくてね。どうだろう?」
「えっ?」

 目をきらきらさせたイオンの顔は、一片の疑いもなく快諾の返事を待っている。

 ラッドは困惑した。何せイオンから外出の誘いを受けるなんて、初めてのことだったからだ。

 材料を調合することによってできる様々な薬は、魔術師かそうでないかを問わず、人の生活に広く役立てられているものだ。やや前のめりすぎる姿勢はともかく、イオンの勉強している分野そのものにはとても興味があった。

 元々知識欲は旺盛なラッドだ。まして日頃から世話になる薬に関係したことであれば、否が応にも心が浮き立つのを抑えられない。

 しかし、イオンに付いて行くとなると無視できない問題があるのも事実だった。二つ返事で了承したいのを、どうにか堪える。

「……どうしよう、かな」
「おー、迷ってる迷ってる」

 落ち着け。まず詳しい話を聞いてみないことには何とも言えない。でも……。

 ラッドの頭の中で、懸念事項と知的好奇心を載せた天秤がぐらぐらと揺れる。

「そうだ、リュノーも来るかい?」
「いいの? 僕、ラッドと違って薬のこととか全然分かんないんだけど」
「原料の生育環境に関する勉強もあるから、今回はフィールドワーク中心なんだ。素人の観点があれば、一緒に学ぶことでこちらの知識もより定着するからね。同じことを学ぶなら、より楽しい方がいい」

 イオンはソニアとラッドを見比べて笑った。

 彼がソニアを誘うのは、ラッドの不安を減らす気配りでもあるのだろう。ソニアは二人共通の友人であり、ラッドが学院の内外で最も信頼する相手だ。

「……待て。そもそも、どこ行くつもりなんだ?」

 そこでようやく、ラッドは最初に聞かなければいけないことを思い出す。

 誘ってくれるのは嬉しいが、変わり者のイオンのことだ。承諾した後で唐突に「さぁいざ海外へ」、などと言われても困る。ソニアも似たようなことを考えていたのか、からかうような口調でイオンに問うた。

「フットワーク軽いお前の言うことだし、今度は外国とか?」
「期待に添えなくて申し訳ないけれど、国内だよ。イセンフェーナ市に行こうと思う」


 がっちゃん。

 ラッドの脳内で揺れていた天秤が、音を立てて傾いた。
 




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