Promise with the Garnet  Page.08

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 事件の後、ラッドとソニアは時間を置いて院長室に呼び出され、学院長に今回の試験の顛末を説明することになった。

 結果、ラッドはジェリスとの契約を確認した学院長によって学生証に精霊術師としての刻印を捺され、ようやく“魔術師見習い”として認められた。やっと、本当の意味で他の生徒達と同じ場所に立てたのだ。

 もちろん今後受ける授業内容の変化に関しても、申請手続きが必要となる。渡された書類を大量に抱えて帰路に着いたラッドは、慌ただしさに喜び半分、疲れ半分といった表情を浮かべていた。

 書類を集める準備に時間が掛かったせいで、気付けば既に夕刻になっていた。


「……ジェリス、ありがとう」

 ラッドの唐突な呟きに、ジェリスは首を傾げる。

 夕焼けの光がうっすらと街を彩る中、ラッドとジェリスは自宅への近道である裏通りを歩いていた。

 ソニアは先に隠した機走浮盤を持ってキリンスの家へ向かったため、ラッドよりも帰りは遅くなるだろうか。

 暮れる空の色、流れる雲、風の匂い。

 新しく世界が生まれたような感覚の中では、何もかもが新鮮に見える。それはラッドにとって今までにない、とても不思議な気分だった。

『……何の話だ?』
「待たせてごめん」

 隣を歩くジェリスは何も言わないが、ラッドはそれでも満足だった。

 ただジェリスが来てくれて嬉しいのだと、口にして伝えたかった。約束していたはずの十年後をゆうに過ぎ、二年も余計に待たせてしまっていたことを謝りたかった。

『……たかが二年なら、誤差の範囲だ。俺にとっては、な』
「え? だってようやく思い出したか、って……」
『今のお前を見て、気が変わった。そもそも、俺の十年とお前の十年は違う』

 ジェリスが立ち止まったのが分かり、ラッドは彼の方を振り返る。ジェリスはどこか遠い目をしながら空を眺めていた。

『俺達精霊にとって、十年なんてほんの僅かな時間でしかない。だから俺は、お前達人間にとっての十年も、それ程長くはないんだろうと思っていた。そんな短い間に約束を忘れるお前は、馬鹿なんじゃないかと』


 人の寿命は種族により異なるが、精霊の生きる時間はそれらの差異を遥かに超える。

 元々精霊達が住んでいると言われる世界──“精霊界”は、悠久の時が常に流れている永劫不変の地なのだという。そんな世界に暮らしていたジェリスと人間のラッドでは、時間の重さが違うのだ。

 人間は精霊のそれと比べて遥かに短い一生に伴い、目まぐるしく日々を生きている。

 心身の成長や時の経過によって心に刻まれる記憶があり、失われる記憶がある。

 だから幼く多感な子供であったラッドが、ジェリスのことを忘れてしまっていたのも──人として仕方ないのだと。ジェリスはそう言った。

「……でもオレは、約束どころかお前の名前も忘れてたんだ」
『気にしていない。現に……お前は思い出しただろう』

 小さな自己嫌悪に近い感情が、胸に渦巻く。ジェリスの気にしていないという言葉は嬉しかったが、ラッド自身疑問はあった。

 例えば、ジェリスとの契約を思い出した時。あれも、自分の力一つではなかった。頭に響いた不思議な声が、知らない誰かの意識が、ジェリスの記憶を呼び起こしてくれたのだ。

 通りすがりの精霊の囁き……などといった気まぐれでないことは、自分がよく知っている。

 あれは誰だ。あの声が聞こえるようになったのは、一体いつからだった?

『……よもや俺が守護精霊では不満とでも?』

 黙ったまま思考の海に沈んでいるラッドの様子を、ジェリスは別の意味に取ったらしい。気付けば両腕を組んだ尊大な態度で、少年の返事を待っている。

「え、そういうわけじゃ」

 ラッドは目を丸くし、首を横に振った。

「なら人の話を意図的に無視しているのか? 人との問答の最中に不愉快そうな顔をして」
「お前がそれ言うのか?」

 鋭利な目つきのせいとはいえ、いつも怒っているような顔のジェリスに言われたくはない。

 しかし彼を見ていると、過去と現在の差に思わず笑ってしまう。昔のジェリスはもっと優しくて、どこか儚い雰囲気の青年だった覚えがあるのに。

 あるいは当時のジェリスが、幼かったラッドに合わせて態度を軟化させていただけなのだろうか。不敵で不遜な表情を浮かべた現在の顔が彼の素なのかと思うと、不思議とおかしくて笑いたくなった。

「……改めて、これからもよろしく頼めるかな」

 懐かしく暖かな気持ちが静かに胸を満たす。ラッドが握手のつもりで手を差し出すと、ジェリスは自分の拳を握り締めたままラッドの眼前に突き出した。

『開け』
「え?」

 断片的な短い指示に従って、ラッドは掌を見せるように開く。

 すると、僅かな光の尾を引いてその手に紅い宝石が落とされた。

「……首飾り?」
『紅の宝珠・レッドノール。上級精霊と契約を交わした場合、精霊魔法を使う時に魔力を連結させる媒体が必要になる。そのためのものだと思え』

 精霊術師が一定以上の魔力を持つ精霊と契約した時、精霊が持つ膨大な魔力を調整するための媒体が必要になる──ラッドが一年生の頃に、授業で習った覚えがある。

 また、宝石や鉱石の類にはそのもの自体に魔力が宿っており、魔法の触媒として適しているのだとも。

『契約を通して、精霊と主を繋ぐ媒介であり魔力の器になるものだ。いいか、失くすなよ』

 ジェリスの言葉を聞きながら、ラッドはまじまじと手の中に納まった紅い宝石を見つめた。

 静かに輝くこの石は、一見すると柘榴石だろうか。金の縁取りに細かな刻印が施されており、装飾品の先端が細い鎖に通っている。これといった特徴のない首飾りだが、宝石の中央にはまじないのような白い光の紋様が浮かび上がっている。

 落ち着いた深みのある赤は、ジェリスの瞳を連想させる色だなと何ともなしに考えた。

『そして、これでお前は俺の正式な主となる。精進しろ、未熟者』
「……手厳しいな」

 上から目線での物言いに、ラッドはもう一度苦笑いした。更にこれから始まる第二の学生生活を想像し、一緒に溜め息を吐き出しながら歩き出す。

 そこで、はたとラッドの頭によぎったことがあった。

「……あの先生、誰だったんだろう……」

 召喚事件の後、ラッドは諸々の片付けに加わろうとしていたハーシェルを捕まえて、突然いなくなった監督教師について聞いてみた。

 結果はどうあれ、教師が試験の最中に生徒を放ってどこかへ行ってしまうのはおかしい。何か急な事情があったのだろうかと心配もした。

 だが問題の教師の行方について、明確な答えは得られなかった。

 ラッドから話を聞いたハーシェルは一瞬訝しげな表情を浮かべたが、「気にかけておく」と頷いただけで自分の作業に戻ってしまった。

 一見普段と特に変わらない様子だったが、去り際の微かな呟きをラッドは確かに聞いたのだ。

 “学院の教師だと……?”

 ハーシェルのあの反応が、ラッドの中で違和感として残り続けている。

 翠色の髪に凍てつくような鋭い瞳を持ったあの教師を、“見かけない”と感じたのは──やはりラッドの気のせいではなかったのか?

 あの“翠色の青年”は、一体何者だったのだろうか。

「うぉおおーい、ラッドやーいッ」

 近付いて来るソニアの声と、機走浮盤特有の動力音。

 真後ろから急速に迫って来る気配にぎょっとして、ラッドは思わず横に飛びのいた。直前までラッドがいた場所を通り過ぎ、ソニアの運転する機走浮盤が停止する。

「修理完了、絶好調だ!」
「思わずオレを撥ねそうになるほどか。そりゃ良かったな」

 いつの間に避けたのか、ジェリスはまじまじと一時停止した機走浮盤を観察している。そんな守護精霊を横目に、ラッドはきつくソニアを睨んだ。

 あれだけの速さなら、もしぶつかっていれば昨日のように軽い打ち身などでは到底済まなかっただろう。ソニアの形の良い眉が八の字の形を取る。

「修理がわりと早く終わったから、急げば追い付くかなーって思ってさ……キリンスが直接修理してたし、変な動作したら困ると思ってテストがてら走ってみたんだよ」

 それであんなに速度を出していたのか。ラッドは件の機走浮盤を見て、小さく頷く。

「……思ったよりきっちり直してあるな」

 美しく磨かれた機体には、修理前のひび割れた鉱石よりも更に純度の高い大きな宝石が二つ取り付けられている。その仕事ぶりに、ラッドはもう一つキリンスを見直した。

「アイツ、どうなるとか聞いたか?」

 聞かれた意味を理解していなかったらしく、ソニアが首を傾ける。処分、とラッドが付け足すと、ぽんと手を打った。

「三週間の自宅謹慎だってさ、親御さんと話してた。しばらくは平和になるね」

 試験の妨害、許可のない召喚魔法の発動と、召喚獣暴走による修練場の被害。

 これらを踏まえてなおキリンスが数週間謹慎で済んだのは、おそらくハーシェルの口添えもあってのことだろう。


「やっぱ僕、アイツ嫌いだよ」
「……けど、これでキリンスの態度も少しはましになるだろ。家でただじっとしてれば放免、ってわけでもないだろうし」
「あー、課題とか反省文? アレ面倒くさいよなー」


 キリンスは確かにプライドが高く横柄な性格だが、今回の件で自らの力不足を認識していたように見えた。ソニアが不満そうに小さく舌打ちする。

「僕としちゃ、あっちが退学になってくれた方が良かったんだけど。しぶといねまったく」
「まぁ、あぁいうのが少しいた方が飽きないし」

 もちろん今までラッドに悪質な嫌がらせをしていたのはキリンスだけではないが、彼はいわば御山の大将のような存在だ。キリンスが大人しくなれば、少なくとも彼を取り巻く連中は多少静かになるだろう。

「けど今日の話したら、親父も母さんも喜ぶぜ! ……そういや兄ちゃん、名前は?」
『……ジェリス』
「うん、ジェリっさんね。オーケーオーケー! 僕はソニアだよっ」
『ソニア……?』

 屈託なく笑うソニアに思うところがあったのか、ジェリスの眉が僅かに上がる。ラッドを乗せると、ソニアが運転する機走浮盤はのんびりと夕暮れの道を走って行った。



「ラッド、おめでとうッ!!」

 帰り着いた家の玄関で突然ミリアに抱きしめられ、ラッドは目を白黒させた。マシエにわしわしと豪快に頭を撫でられたまま、硬直する。

「……何で知ってるの?」

 自分の精霊契約成功を喜んでくれている、という予想はついたが、そうなるとこの二人が「何故まだ話してもいないことを知っているのか」という次の疑問が湧く。

「俺の情報網を甘く見てもらっちゃ困るな。小精霊達の噂で、お前の試験結果なんてとっくに筒抜けだぜ?」

 マシエはラッドの尤もな問いに対してちちち、と指を振った。

 小精霊は精霊の幼体とも呼ばれる、自我を持った魔力の集合体だ。はっきりした姿形を持っておらず、まだ人と契約を結べるだけの力もない彼らは、その微弱さゆえに個々の存在を感じ取るのも難しいという。

 いくら精霊が当たり前に共存できる環境とはいえ、ふわふわと漂う小精霊の気配を掴んで気易く世間話ができる人間など、そうそういるモノではない。無垢な子供ならばともかく、大人ともなれば尚更である。

 ラッドは、そこで改めてマシエの魔術師としての実力を知った。

『……相変わらずだな、お前は』
「はい?」

 ラッドの背後、玄関に立ったままのジェリスが呆れた様子で半眼を眇める。マシエはそこで初めてジェリスに視線を移し、すぐに喜色を浮かべて声を上げた。

「──ジェリっさんか!? 久しぶりだなぁ! もしかしなくてもアレか、ラッドの守護精霊になったのって」
『……俺だ』

 返事を聞いたマシエは更に目を輝かせ、「よろしく頼むぜー」と笑いながらジェリスの肩をばんばんと叩く。知り合いであるらしい大人達を見比べ、ラッドとソニアは意外な繋がりに顔を見合わせた。

 しかしラッドの父親であるフォルトがマシエ、そしてジェリスとそれぞれ友人関係にあったことを考えれば、彼を介して二人の間に面識があったとしてもおかしくはないだろう。

『……するとコイツは、やっぱりあの時のガキか。どこかで見た顔だと思った』

 マシエとソニアを交互に見て、得心が行ったようにジェリスは小さく頷く。ソニアが振り返って不思議そうな顔をした。

「え? 僕今までにジェリっさんと逢ったことあんの?」
『昔、一度だけ』

 ジェリスは肩を竦める。

 フォルトがリュノー家にラッドを託して消えた日、ジェリスもそこにいた。大人達が短い会話を交わす傍らで、戸惑うラッドの周りを活発な子供がうろちょろしていたのを思い出す。

 しかしワンピース姿に加えてフリルの付いたリボンで髪を結んでいたせいか、あの時はてっきり女の子だとばかり思っていた……などとは言わない方が賢明だろう。

「今日はラッドの新しい門出を祝って宴会だぜ、ミリア!!」
「そんな大げさなことしなくても良いのに……」
「遠慮すんなって! 僕ら今までこんなに祝いを待たされたんだ、派手にやらせろよ!」

 ミリアはラッドを放すと、踊るような足取りで台所へ向かう。ようやく解放されたかと思えば、今度はソニアに首ごと頭を捕まえられてがくがくと揺さぶられた。

 苦しい、と一応の抵抗を試みながら、ラッドの口から苦笑が洩れる。こんなに晴れやかな気持ちになったのは一体何年ぶりだろうか。

 自分の成功を、我がことのように喜んでくれる暖かい親友と家族。

 迷わず自分を主と定め、手を差し伸べてくれた守護精霊。

 ラッドはその時、自らを取り巻く存在に心から感謝した。

 これからの学院生活は、今まで以上に厳しいものになるだろう。本当の魔術師のための世界に触れて、自分の無知さ、無力さを痛感することもあるだろう。

 一欠片の希望でも、充分だった。自分の力を信じる勇気が少しでもあれば、前を向いて歩いて行ける。諦めずに立ち上がることができる。そんな気がした。

 今のこの気持ちを、忘れなければ。


 RED NORL Chapter.1 → New Title To be continued?




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