Promise with the Garnet  Page.07

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 ジェリスの魔術によって幻覚魔法の結界が壊された後、学院内は大騒ぎになった。

 美しい結界石で造られた立派な石柱は破壊され、修練場は見るも無残に荒れ果てている。状況の把握と収拾のために慌ただしく駆け回る大人達の中で、仰天した教師の一人がその場にいた少年二人を捕まえた。

「おい、エイディウにリュノー……これは一体どういうことだ!?」

 ラッドとソニアにしてみれば、教師側の判断こそどうなっているのかを聞きたかった。

 自分達がこんなに目立つ場所で、ずっと暴れるワイバーンの相手をしていたというのに。それを鎮圧しようともせず、一体何をしていたのか。騒ぎ始めるタイミングがどう考えても遅すぎる。

 だが教師の態度はラッド達の反論や弁解を許さぬ威圧的なもので、まるで二人がここを荒らした元凶だと考えているような節があった。おそらく実際にその通りなのか、教師はいっそ憎々しいとも呼べる目付きでラッドを睨む。

「確かお前は、精霊の召喚契約試験を受けることになっていたはずだ。一体何がどうしてこうなったか、きっちり説明してもらおうか?」
「何だよそれ、まさかラッドがここをぶッ壊したとか考えてるんじゃねぇだろうな!?」

 憤慨したソニアが噛みつくが、教師の言葉は冷たい。

「口を慎めリュノー。他に誰がいると言うのだ!? それに、伝統ある結界石を壊すなど──」

 元々落ちこぼれであるラッドを嫌っている教師なのだろう、ソニアは彼のような偏見を持つ教師が大嫌いだった。

 と、

『……こいつのような未熟者に、そんな力があると本気で思っているのか?』

 ラッドが顔を上げる。ラッドの隣にふわりと降り立ったジェリスが、腕を組んでフンと鼻を鳴らした。見下したように、自分と同じ程の背丈を持つ教師を睨みつける。

「何だ、何だ貴様は……?」
『──つい先程、コイツに喚ばれた精霊だ。主の現在の力量程度は心得ている』

 ジェリスはフォローのつもりで言っているのかも知れないが、喚んだ側のラッドにしてみれば褒められているのかけなされているのか、いまいち分かり辛い言い分である。

 また、昨日までは魔術の一つも扱えなかった生徒が喚んだという精霊を見て、教師は目を剥いた。

「そこまでにしておけ、ウォーノ」

 そこで、ラッド達の背後から冷静な声が近付いてくる。

「……ハーシェル先生?」
「無事か、エイディウ。それと私の授業を【腹痛】で抜けたリュノー」

 呆れ半分といった表情でこちらへ歩いてきたのは、ソニアが抜け出した授業の担当である水色の髪の教師だった。その隣には、キリンスの姿もある。

「いや、これにはえーと……山より深く海より高い理由があって」
「言い訳は後で聞いてやろう、一応怪我人でもあることだし」

 どこか愉しそうな顔で菫色の吊り目を細めた担任に、ソニアが苦い表情で呻く。

 常に冷静で公平な態度と授業の分かりやすさから、生徒からの人気が高い教師がこのハーシェルだった。教師嫌いのソニアも、内心で密かに尊敬している人間である。

 少々表情に乏しく変わり者だという評判はあるものの、ラッドが気を許せる数少ない教師の一人でもあった。

 ハーシェルは労わるようにラッドの肩をぽんと叩くと、もう一人の教師と向かい合う。

「ガークライアが私に話した。この修練場の被害は、ガークライアが自主的な召喚訓練に失敗したことで起きた事故だと。エイディウ達に因果関係はない」

 ラッドがはっとしてハーシェルの後ろに立つキリンスを見ると、キリンスはまるで拗ねたような表情で視線を逸らした。キリンスは自分の犯してしまった失敗を、ハーシェルに話したのだろう。

「ガークライア!? お前が……何ということを」

 顔を強張らせたキリンスを横目で見ながら、ハーシェルは教師の対応に片目を閉じる。

「確かに被害は大きいが、教師にとって生徒の安全以上に大事なものがあるのか? 私達の力であればここの修復など造作もないだろう」

 その言葉に、反論しようとした教師が口を開く。だが彼が何か言う前に、ハーシェルは更に言葉を重ねた。

「……同時に、土壇場でこの精霊を喚び出したエイディウの【強さ】も、認めて然るべきだと私は思う。お前は躍起になって責めているようだが、本人によほどの意志がなければ、こんな奇跡は起こらない」
「それにこの兄ちゃん、見た感じ本当に人間みたいじゃん。このテの精霊って珍しいんだろ?」

 ハーシェルの視線を追うようにラッドとジェリスを見比べて、ソニアが得心のいったように頷いた。

 人と同じように話したり触れることができて、かつ意志疎通の能力を備えた者は、属性を問わず上級格の精霊だと言われている。その上で人の形を取る者となれば、更に少数。

 つまりラッドが喚んだ銀髪の青年は、それ相応に高位の精霊だということになるのだ。

「ずいぶんと贔屓するのだな、ハーシェル殿。分かっているのか、エイディウはあの……!」
「……《あの》、何だと?」

 ハーシェルの鋭い視線が、なお言い募ろうとしたウォーノを射抜いた。その声が一段と低くなる。

「言うまでもないと思ったが……この被害は結界石があってこそ、ここまで抑えられたものだ。何がお前をそこまで不安にさせるのかは知らんが、ならば修練場と結界石の修復は私一人でやろう。お前はさっさと持ち場に戻れ。いいな?」

 今度こそ有無を言わさぬハーシェルの台詞に、ウォーノはぐっと黙り込む。もう一度ラッドを不満げに睨んでいたが、ようやくその場を去って行った。

 ウォーノの様子を見て、しかしラッドとソニアは釈然としないまま顔を見合わせる。

「どういうこと? 意味分かんないんですけど」
「……原因オレだって決めてかかったわりに、破壊手段そのものに関しては言及されなかったな……まさか、あのワイバーンを直接見てないのか?」

 ラッドの提示した可能性に、ソニアは肩を竦めた。普通に考えれば、あり得ないことだと。

「ウッソだろ、あんな派手に暴れ回ってくれてたんだぜ? 気付かないって方が無理あると思うんだけどなぁ。アイツが途中から引っ込みつかなくなって、しらばっくれてたんじゃないの?」

「それもないとは言えないけど。キリンスの召喚魔法が原因って聞いた時、アイツは本気で動揺してた。その上こんな目立つ場所で、学院内の人間が揃いも揃って騒ぎに気付かないのは不自然だろ」

「……修練場の周りに、変な結界が張られてたんだ」

 二人の疑問に答える形で、キリンスがゆっくりと口を開いた。ジェリスが同意するように頷く。

『さっきまでこの場所一帯に、視覚・聴覚に作用する幻覚魔術が発動していた。ご丁寧に、外部からの侵入者を阻む結界まで被せてな』

 更にキリンスから彼が見たものの説明を聞き、ソニアは驚愕した。

「じゃあいつまでたっても援護が来なかったのも、勘違いしたあのセンコーに説教されたのも、要はその結界のせいだったってのか?」
「信じられないな……一体誰がそんな手の込んだ真似を……」

 状況が誰にも見えていないし、聞こえてもいないのだから、加勢が来ないのは当然のことだったのだ。

「じゃあ、キリンスは本当にセンセを呼んでくれたわけね。意外」
「研究室に戻る途中、ガークライアに鉢合わせて追ってきた。結果的に、私がいなくても何とかなったようだがな」

 謙遜しているように見えるが、ウォーノの一方的な詰問からラッド達を守ってくれたのは間違いなくハーシェルだ。この教師が寛大な人間で良かったと、ラッドはつくづく思う。

「どうせ学院長からそれなりの対応があるはずだ。わざわざ余分に不快な思いをすることもあるまい」
「……ありがとうございます、先生」
「あれ、でも授業終わりまでもう少しだけ時間あるんじゃ?」

 授業終わりの鐘はまだ鳴っていない。ソニアが疑問を口にすると、ハーシェルが真顔で指を立てた。

「研究室で生育中の草笛茸を取りに行く途中だった。授業としては専門外だが、生徒に見せてやるのもいいかと思い出してな」
「キノコですか……」

 少々興味を引かれて、ラッドは目を瞬かせる。

 草笛茸とはその名の通り、成長すると時間帯によって草笛のような音を立てる珍しい茸だ。食用にもなると聞くが、ハーシェルはそれを研究室で育てているらしい。

「お前はこの後どうする? キリンス・ガークライア」
「……分かってます」

 首を巡らせたハーシェルに問われ、俯いたキリンスの表情は読めなかった。だが、少しの間を置いて少年は顔を上げる。

「──学院長にも、謝らないと。この被害は俺のせいだ。俺は魔術師だから、責任は取らなきゃならない」
「殊勝な心がけだな、付いてこい」

 ハーシェルに連れられて、キリンスは学舎へと歩いて行く。

「おい、キリンス」

 ラッドが呼び止めると、キリンスはちらりと視線をよこした。


「──勝負はオレの勝ちで良いな?」
「……お前もさっさと音を上げて、退学届けを出してりゃ楽だったのにな」

 キリンスの表情や声からは、試験前に見せていた憎悪が明らかに薄れている。まるで、何か憑きものが落ちたかのようだ。

「報酬は、最新型機走浮盤の修理だ。後でソニアがお前の家……店に寄る」
「……は?」

 しかし、勝者から出された提案は敗者にとって予想外の内容であったらしい。キリンスが怪訝な顔になった。

 確かにラッドは、賭けに勝ったらキリンスに一つ頼みを聞いてもらうという約束をしている。ただ、ラッドが出した「退学」という重要なチップの対価が「機走浮盤の修理」とくれば、拍子抜けしてしまうのも当然の反応だった。

「チッ、くだらねぇ……もっとマシな用事に使えよ……」
「オレはこの上なく真面目だ。何せモノがモノなんでな、タダで済むならこれ以上のことはない」
「……ラッドお前、最ッ高!」

 キリンスの家は、学院付近では数少ない乗用機の修理屋を営んでいる。鋭く舌打ちしたキリンスが目を逸らすと同時に、ソニアが嬉々としてラッドの肩を抱き寄せた。


 キリンスは思う。

 たかが機走浮盤の修理と自らの退学を同じ天秤にかけるだなんて、この落ちこぼれはどうかしているのではないか。あるいは、見下されているのだろうか。やっぱりコイツは気に食わない。

 それでも。契約用の魔法陣もなく、混乱していたあの状況下で精霊を召喚したことが、どれだけ常識外れな現象なのかも知っていた。強い想いから来る力が、落ちこぼれに奇跡をもたらしたのもまた確かで。

 本当に無気力な人間に、そんな幸運は決して起こらないはずだ。

「(思ったより根性はある……ってことか?)」
「……ほんの少し見直したよ、キリンス」

 キリンスにはラッドが何を言ってるのか、一瞬分からなかった。短い逡巡の後、思い当たって「あぁ、」と短く返す。

 おそらく自分がハーシェルに事実関係を正直に説明したというのが、ラッドにとっては少し意外だったのだろう。ラッドとキリンスがお互いに抱いていた心証からして、それは無理からぬ想像だった。

「ツケをきっちり払うだけだ。俺は、魔術師だからな」
「知ってる」
「妨害しようとしたくせに、今更よく言うよ」

 口を尖らせるソニアを、ラッドが無言で窘める。キリンスは二人からふいと顔を背け、再び歩き出した。


 ラッドが起こした奇跡に、その想いの強さに、少しだけ今までの自分を恥じた──なんて、絶対に言いたくなかった。何故ならキリンスは、ラッドのことが大嫌いだからだ。

 悔しくて、認めたくなかったが──負けは負けだ。

 それどころか、あんな落ちこぼれに助けられてしまったのだ。これ以上ない屈辱だった。


 強くなってやる。あんなヤツに、二度と借りを作ってたまるか。





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