Promise with the Garnet  Page.05

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 早く、速く。ソニアはただひたすらに走っていた。


 まだ授業中の教室が並ぶ廊下を走り抜け、階段を数段飛ばしで駆け下りて。

「あぁああ! まだるっこしい!!」

 二階の階段を下りる所まで来て、耐えかねたように叫んだ。

 やたらと広い学舎の造りが恨めしい。どうせ技術や人材なんて売る程あるのだから、移動用に転移魔法陣の一つか二つ仕掛けておけばいいものを。

 途中で通り過ぎようとした実技授業の準備室に、扉を蹴破る勢いで飛び込む。適当な剣を二本引っ掴んだ。

 急げ、急げ。

 キリンスが何をしようとしているのかなんて、考えなくても分かる。キリンスや自分は数日前に、同じ選択授業で召喚魔法の構築について基礎を学んだばかりだった。ラッドはちょうど別の授業を受けていて、いなかった時間だ。

 さっき窓から見えたキリンスは、そんな授業で教師が見せた術と同じ魔術を行使しようとしていたのである。

 流石に詠唱の内容までは確認できなかったし、直後に浮かび上がった魔法陣の形も教師が見せた手本とは違っていた……と思う。

 それでも魔法陣の形が「魔物を召喚する」ものだとはっきり分かったのは、昨日ラッドの部屋で見た参考書にあれとそっくりな図式が載っていたおかげだ。

 間違いない。キリンスの魔術は、他ならぬラッドがいる場所を狙っている──

 ラッドが、危ない。


 過去の幻想の中、ラッドは目の前にある景色の他に、何かの音を聞いた気がした。

 特殊な場所にいるせいか発生源は遠く感じられるが、それは魔術が発動する際に奏でられる音に似ている。

 一体何だろうと頭の片隅で考えるが、すぐ後には小さな自分の傍に現れた存在に意識を吸い寄せられた。


「……りぃすっ!」

 幼子が舌足らずな声で名を呼ぶ。

 背中まで長く伸びた銀色の髪は、どこからか吹く風に煽られ靡いていた。自分に丁度背を向ける形で立つ青年に、ラッドは確かな既視感を覚える。

 知っている。あの後姿を、あの銀髪を、自分は覚えている。夢で何度も見た、銀髪の青年。

 そこからは、もう殆どがラッドの知っている光景だった。

「おとうさんは……? りぃす、おとうさんどこいっちゃったの?」

 そうだ。あの青年は確かラッドの父親と親しくて、よく一緒にいるのを見たことがある。そして小さかった自分もまた、彼を慕っていたのだったか。

 青年は答える代わりに、体を屈めて子供の顔を覗き込んだ。

『……また、一人で来たのか。あの家族が心配するだろう』

 「あの家族」。傍観しているラッドは彼の短い言葉で、今見ている時間の流れに大体の見当を付ける。

 多分この時期、自分はまだリュノー家に預けられて間もない頃だったのだと思う。マシエやミリア、ソニアにも黙って家を飛び出しては、一人でこの公園をうろうろしていた記憶がぼんやりと残っている。

 見知らぬ所に突然置いて行かれ、無性にあの家から逃げ出したくなる時があった。

 あの家族はとても優しいのに、恐怖はなかなか拭えなくて。そしてそれ以上に、大好きな父親が自分を探しに来てくれるかもしれないという淡い期待があったのだ。

 もしかしたらここにフォルトがひょっこり現れて、困ったような顔で笑って、自分の頭を撫でてくれて、“帰ろう”と優しく声を掛けてくれるかもしれない──そんな期待が、頭を離れなかった。

 きっと、それはないと既に分かっていたのだろうけど。当時のラッドはたった五歳の子供で、そう思わなければ孤独に耐えられなかったのだ。


『今のお前を見たら、フォルトだって怒るだろう』
「おとうさん、見てないもん。それに、おこられたっていいもん……おとうさんにあいたい……」

 ──さみしいよぉ……。

 やがて泣きじゃくる子供の頭をそっと撫でて、青年は宥めるように言った。

『あと十年したら……、だから』

 脈絡のないやり取りも、見慣れたものだ。目の前で、夢に見た内容が繰り返されていく。だが、やはり肝心な部分は音にならず消えていた。

 彼と交わした約束の内容。おそらくこれが、一番大事なことなのだ。霧のように薄くなっていく青年の影を、ラッドは目で追う。

 待ってくれ、聞きたいことがまだ沢山あるのに──

 過去を見ていることも忘れて、呼び止めなければいけない気がした。思わず足元の光の中から踏み出して、口を開こうとする。なのに、音が声にならない。

 当然だった。ラッドは、彼の名前を知らない──いや、忘れているのだから。


 直後けたたましい何かの咆哮が空間を飲み込み、辺りの景色をかき消した。


 視界が晴れ、光がさぁっと遠のいていく。ラッドははっと目を開いた。

 辺りを見回すと結界石で出来た石柱が四方に配置され、学舎にぐるりと囲まれた修練場にいることが分かる。現実に引き戻されたのだ。

 そこで奇妙な薄暗さと吹き荒れる強風を怪訝に思い、顔を上げる。頭上には、浅黒い鱗に全身を覆われた翼竜が咆哮を上げながら羽ばたいていた。

「さっき聞こえた声はコイツか……」

 姿形を見るに、昔はよく騎乗用に飼い慣らされていたという“ワイバーン”だろうか。まさか、こんな魔物が学院の敷地内に入ってくるなんて──

 周囲を確認したが、先程までここにいたはずの青年教師の姿はどこにもなかった。一体、何がどうなっているのか。

「エイディウ、残念だったなぁ! これでお前は退学だぜ!!」

 響いた声に、知らず眉間に皺が寄る。ワイバーンに跨り、誇らしげにこちらを睥睨する声の主を見つけて、ラッドは金色の両目を眇めた。

「……習いたての召喚術まで使ってオレを邪魔するのか、キリンス」

 過去を見ている途中で聞こえた発動音にも、これで納得が行った。あの翼竜は学院に侵入してきたのではなく、キリンスが召喚したものなのだろう。

 異空間から、意志ある生物を招く魔法──召喚術の類は、授業でまだ基礎しか習っていないはずだった。

 実践の授業が受けられない自分のみならず、これに限ってはソニアも似たようなものだろう。にも関わらず、教師の真似ごとだけでこんな高等魔術を行使できてしまうキリンスに、感心すら覚えた。

「これでお前も学院生活に終止符を打てるんだ、もっと喜べよ落ちこぼれ!!」

 元より、彼の口上に興味はない。ラッドの視線は、獰猛な唸り声を挙げるワイバーンの方に移っていた。

 翼竜の瞳はぎらぎらと血走り、鋭い牙を剥き出しにしてこちらを睨んでいる。精神の昂りが術者と同調しているのか、ずいぶん興奮しているようだ。その姿は背に跨るキリンスなどよりも、よほど威圧的に映った。

 ワイバーンが翼を薙ぎ、一際強い風がラッドの体にぶつかってくる。

 召喚術の工程で重要視されるのは“召喚”だけではない。呼び出したものを自分の力で操り、制御する能力が必要不可欠なのだ。

 果たして調子に乗った今のキリンスが、そこまで頭を回しているのかどうか。

「行けッ!」

 キリンスが指差すと、ワイバーンがラッド目がけて勢い良く飛んでくる。ぱっくりと開いた口から、熱の気配がした。ラッドはすぐさま、修練場と同じ中庭の片隅にある噴水までの距離を計算して姿勢を低くする。噴水の中に飛び込めば、おそらく炎は凌げるのではないかと考えて。

 と。

 炎が吐き出された瞬間、修練場の四方を囲む石柱が輝いた。放たれた炎はラッドに届くことなく分散し、軌道を逸らされたように四つの柱へと吸い込まれて消えていく。

 領域内外の魔力干渉を遮断する、結界石の柱。これがあるからこそ、この場所は魔法実技の練習場として力を発揮するのだ。

 だがラッドが安心したのも束の間、ワイバーンはそのまま突進した勢いで柱の一つを薙ぎ倒してしまった。

 重い体が地面を滑り、砂煙が舞う。更に荒々しく尻尾を振り回し、もう一本の柱に叩きつけた。背中の荷物を振り落とし、翼竜は止まることなく再び空へ飛び上がる。

 尋常ではないその様子を見て、動揺したのは置き去りにされたキリンスの方だ。

「な、な……ッ!? 何で俺の言うこと聞かねぇんだよ!? おい、戻って── つッ!」

 不意に途切れたキリンスの声をかき消すように、咆哮が重なる。ラッドはやれやれと溜め息を吐いた。

「……やっぱりお前、制御方法知らないのか?」

 キリンスが召喚術を使ってどこまで自分を痛めつけようと考えていたのか、ラッドには知りようもない。だが、喚ぶだけ喚んでおいて制御不能とは無責任にも程がある。おかげで試験が滅茶苦茶だ。

「んだと!?」
「ラッド!!」

 するとキリンスの言葉をまたも遮って、耳慣れた声がした。修練場に駆け込んできたソニアが、息を切らしながらワイバーンを睨みつける。

「ぜぇ……ラッド、無事かッ!? 」
「今のところは」
「キリンスのヤロ……あんなロクでもないモン喚び出しやがって……!」

 ソニアから実技演習用の剣を渡され、ラッドはどこかふて腐れたような表情を浮かべるキリンスを横目で一瞥する。ソニアはキリンスを前に、ぎょっとした様子で両目を白黒させた。

「って、何でお前がココにいんだよ!? 普通お前がいるべきはあっちだろ、あっち!」

 長い指で示すのは、空を舞いながら猛り狂う影。

「魔術を発動したは良いが、制御できなかったらしい。召喚獣が勝手に暴れ出した」

 己の未熟さをわざわざ解説され、キリンスが憎々しげに舌打ちする。しかし大事な試験を妨害されたラッドにとっては、天敵の都合など全く知ったことではなかった。

 舌打ちしたいのはこっちだ。あと少しで大切な何かを取り戻せると、そんな気がしていたのに。

「……ん?」

 ラッドはそこで、キリンスの様子の変化に気付いた。頭に血が昇りやすいはずの彼が、さっきからずっと座り込んだまま、なかなか動こうとしないのは何故なのか。

「とにかく、アイツを何とかしなきゃだよなッ」
「おい、キリンス!」

 早速魔術の詠唱を始めるソニアを認め、ラッドはキリンスを振り返る。

「オレ達がアイツの相手をする。お前はその間に、誰でも良いから魔術担当の教師呼んでこい」
「っざけんな、何でお前に指図受けなきゃならねぇんだよ!?」
「その足でここにいられても邪魔だ。ならせめて収拾つけられる人間連れてこいって言ってるんだよ」

 ラッドは切って捨てるように言い放つと、キリンスの足をまっすぐに指差す。キリンスは、まさに痛い所を突かれたかのように黙り込んだ。

 下級のワイバーンとはいえ、相手は屈強な竜族。それを真正面から倒せる実力など、ラッド達にはまだないのだ。

 体躯の大きさからしても圧倒的にこちらが不利だが、策はあった。魔術で喚んだ魔物を送還するか、消滅させることができるほどの力を持った術者──例えば、学院の教師がいれば。話は全く違う。

「この騒ぎならどのみちすぐ誰か来るんじゃねぇの? 何せ丸見えだからな!」
「召喚術で喚んだ魔物ってことがあらかじめ分かっていれば、対応も早くなるだろ! 送還や転移の術は、下準備に少し時間が掛かるのが多いから……っ!!」

 言葉を切り、ラッドは滑空するワイバーンの体当たりを横に転がって避ける。キリンスは間近に迫る暴風に煽られて吹き飛ばされそうになるのを、結界石の柱にしがみ付いて堪えるのが精一杯だった。

 駆けるソニアが力強く地を蹴れば、一時的に脚力を引き上げる魔術の効果で、風塵と共にその体は容易く宙空へと跳び上がった。注意が逸れたワイバーンの前脚へ、ラッドが刃を突き立てる。

「何してんだ、さっさと行け!!」

 もがくワイバーンの尻尾をがっちりと捕らえ、背中によじ登ったソニアが怒声を上げた。

「……っ、ちくしょう!!」

 その言葉が後押しになったのか、悔しさと憤りがないまぜになった複雑な表情で二人を睨んだ後──キリンスは痛めた左足を半ば引きずりながらも、一目散に走り去って行く。

 ラッドは体勢を立て直すと、暴れる翼竜の背中にくっついたまま長剣を振りかざしているソニアに叫んだ。

「武器より魔法の方がいいんじゃないのか!?」

 ただでさえ硬い竜の鱗に刃物で対抗できるほど彼の腕力が強かった記憶はないが、大丈夫なのだろうか。そんなラッドの不安をよそに、ソニアは不敵な笑みを浮かべた。

「右腕上げるのでいっぱいいっぱい! 詠唱から発動までコレにしがみついてろとか無理!」
「そんなこと自慢げに言うな!」

 強気なのか弱気なのか分からない、しかしとても誇らしげなセリフが、やたらと早口で飛んでくる。

 ついでに鱗の一枚でも採れれば儲けモノ、と言いながら振り下ろした刃は、案の定呆気なく弾き返されていた。体勢を崩して放り出されたソニアが、ラッドの隣に降ってくる。

「はい、ダメでした!」
「お前な……」

 背中をさすりながら立ち上がる親友に、ラッドは思わず溜め息を吐いた。比較的皮膚が薄い前脚を狙った自分でさえ、一撃入れただけで手が痺れてしまったのだ。至近距離で直接魔法をぶつけるならまだしも、ソニアの狙いは少々無謀だった。

「やっぱこれじゃダメだわ、刃潰れてて使い物になんねー。アマチュア向けは困るね」
「自分で持ってきた借り物にケチつけるとか、お前も大概余裕だな……ソニア!!」

 ラッドは呆れた直後、促すように鋭く叫ぶ。ワイバーンが炎を吹く予備動作に入っていた。ふしゅう、と吐き出された熱気に振り返りながら、ソニアは流暢に詠唱を紡ぐ。

≪la di'nse er seln fino, bati-us guoit!≫

 それは守護精霊の属性や階級によって異なるという、精霊魔法の詠唱。

 術者が精霊族特有の言語で紡ぐ“詠”は、精霊と術者の精神を同調させ、魔術発動に必要な魔力の集束を助けるためのものだ。術者の鍛錬や、精霊との信頼関係によって言葉は徐々に短縮され、いずれ詠唱なしでも魔術最大限の効果を発揮できるようになるらしい。

 ソニアの詠唱の短さには、彼自身の実力や守護精霊サラマンダーとの絆の強さが透けて見える。ラッドはほんの僅かな羨望感に目を細めた。

 精霊魔法の発動音と同時に、ソニアの指先から爆炎がほとばしる。吹きかけられた竜の炎とぶつかり合い、爆ぜた熱が時折残された結界石に吸い込まれるのが見えた。

 しかしやはり、結界石の数が半分に減ったせいで防御壁の効果が弱まっているらしい。

「炎は元より、体当たりの威力も相当だな……」

 このままではまずいのではないか──そう考えていたラッドの真後ろで、ヒビの入った石柱が一本音を立てて崩れ落ちた。





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