Promise with the Garnet Page.04
「ラッド……おい、ラッドってば!」
「……何だよ、急いでるの知ってるだろ」
早足で廊下を歩きながら、背後から追って来るソニアの声にラッドが振り向く。一見無表情な顔の眉間には、ほんの僅かに皺が寄っていた。
「そうじゃねぇだろ!? アイツとの勝負に負けたら学校辞めるって、どういうことだよ!」
問い質す語気が荒くなるが、例えソニアでなくともこんな話には動揺するだろう。だが自ら勝負を持ち出した少年は、どこか不自然さを覚える程に平静としていた。
「──言葉通りの意味さ」
「何でだよッ!? あんな姑息で嫌がらせしか能がない奴相手に、わざわざそんな条件で大勝負仕掛けることねぇだろ!? お前が辞めるなんて」
僕は嫌だ──
そう言おうとして、ソニアは突然さっと波が引くように冷めた頭で考える。
「(僕は嫌だ、って何だよ?)」
もしも、もしもだけれど、最悪の場合。
ラッドが勝負に負けて魔術学院を去ったとして。元々一つ屋根の下で暮らすソニアが、ラッドに逢えなくなることはない。それぞれが違う学校に通う、少し前までの生活環境に戻るだけの話だ。
第一学院を辞めてしまえば、これ以上ラッドが不当な扱いを受けたり、辛い思いをすることはなくなるのだ。少なくとも、この場所では。
家族で話し合い、ラッド本人が望んで入った学院ではあるけれど──傍にいたソニアとしては半分「見ていられない」というのが本音だった。魔術師としての実力主義で成り立つ学院での日々は、只でさえ同年代の少年達と比べて情緒に乏しい面があるラッドから、見る間に表情を奪っていったのだ。
それはラッドが生まれてから今までに、無意識下で培った処世術なのかも知れない。感情を奥に押し込めて、痛む心に見ないふりをする。そうして創り出した仮面は本人も知らない内にぴったりと顔に貼り付き、あまりに装いが自然すぎて、一体いつから纏っていたものなのかすら分からなくなる。
そんなラッドが飲んできた苦汁を思えば、もし万が一負けたとしても──無論、絶対にラッドが勝つと信じているが──それも悪くないのではないか。むしろ好都合とも言える勝負なのではないか。
一度気付いたら、考えれば考える程に分からなくなる。自分は、本当に止めるべきなのか?
「……今のままでいたら、どのみち退学は避けられない」
「え?」
急に黙り込んだソニアの心を読んだかのように、ラッドが静かに言葉を返す。
「分かるんだよ、オレを見る教師達の大半が無言の威圧をかけて来てるのが。流石にはっきり“出ていけ”とまでは言わないけど……同じようなモノだろう。そうでなくても、オレは実技の単位が圧倒的に足りないんだ」
ラッドは学院に入学してから今までの間、魔法実技関連の授業を避けて履修していた。
魔法実技がいくつも必修科目として存在する学院で、ラッドが手に入れた“二年生”という立場。それは多くの教師に何度も交渉し、実技昇級試験の代わりに多くの課題をこなして、ようやく得たものなのだ。
教師達の厳しい態度を省みても、三年生への昇級時に同じ手段は使えない。結果の出る時期が、少し早いか遅いかというだけ。
「だから、退学を突きつけて来るのが教師だろうとキリンスだろうと関係ないってのか?」
何か秘策があるというわけでもなく、ただ自棄になってしまっただけだと?
心なし肩を落とすソニアに、ラッドは振り返って首を傾げた。
「お前、何か勘違いしてないか?」
「……何を」
「あぁまで言わなきゃ、アイツを振り切るのに余計な時間が掛かってた。だから退学って話をわざと出したんだ。それに……自分から賭けた以上、オレは負けない」
今まででも、差別や中傷に負けて投げ出すのはきっと簡単だったろう。
だがキリンス達のような、他人を見下し嗤う相手に屈して、学院から逃げ出すのは自身のプライドが赦さなかった。
仮面に隠れることのなかった一つの意地が、ラッドを踏み止まらせている。
「だけど、お前今まで召喚契約なんて……」
「確かに。成功したことはないけど……最初から“無理だ”と決めてたら、きっと一生できないだろうから」
驚いたように目を丸くしたソニアは、ゆっくりと息を飲む。やがて静かに笑んだ。
「そー、だよな……」
精霊もまた、自我や心を持つ生き物なのだ。力を貸すのなら相性だけでなく、精神的に前向きな人間を選ぶに決まっている。
ラッドはふと、自分の掌に視線を落とした。
「……でも、もし……」
こうして口に出して自らを鼓舞しても、不安が完全に消えてくれるわけではない。小さい頃から何度も、指をすり抜けて去って行く精霊達の姿を見ては落胆していたのだ。
自分はもう幼い子供ではないし、ソニアのように特別前向きな性格でもない。ただ成功を信じ続けていられるほど、強い人間ではないのだ。
“精霊さん達は、ボクがキライなの?”
過去に抱いた淋しさが漠然と蘇り、胸を刺す。気持ちが沈みかけていたラッドは、ソニアに肩を叩かれて我に返った。
「僕はお前を信じる。だから……負けんなよ。地団駄踏んで悔しがらせてやるんだ、アイツに」
「……あぁ」
しばらく俯いた後、ラッドは静かに頷いた。
例え不安でも、諦めてしまうにはまだ早い。やってみなければ分からないのだから。
拳を握り締める。ラッドは大きく深呼吸すると、ソニアと別れて再び廊下を歩き出した。
修練場は、四方を学舎に囲まれた中庭の中央にある。
学院内での催し物や他学年との合同授業で使われる広場の四隅には、結界石を素材とした瀟洒な石柱が立てられている。発動した魔術の効力が、学舎や学院の外にまで拡大するのを防ぐためだ。
ラッドは周囲を見回し、召喚契約試験の舞台として修練場が選ばれた理由を改めて悟る。そして、学院側が紛れもなく本気なのだということも。
「(見ようと思えばどこからでも見える、って訳か……)」
ここは嫌でも多くの生徒達の目につく。この場所で召喚契約に失敗すれば、ラッドは今後更に身の置き場が狭くなるだろう。教師側の人間達もまた、それは言うまでもなく理解しているはずだ。
言外に“失敗したら出て行け”と、そう言われているのである。
「……ラッド・エイディウ、前へ」
名前を呼ばれて、ラッドは目の前に立つ試験の監督教師へ向き直った。
歳はおよそ二十代前半といったところか、鮮やかな翠緑の長髪を首の後ろでゆったりと一つに束ねている。細長く伸びた両耳は肩先に向けて垂れ下がっており、エルフと似ているようで微妙に違う、見覚えのない種族の特徴を持つ青年だった。
すらりとした体格と白い肌、目鼻立ちは整っているが、髪と同じ色の瞳はどこか無機質だ。作りものめいた怜悧さがある。
あまり進んで関わり合いにはなりたくないが、教師達の中でも特に見かけない顔だと思った。最近新しく入ったのか、それとも普段自分が取っていない授業を受け持っているのだろうか。
ラッドが進み出たまま密かに観察していると、青年は小さく何か囁いた後に指を鳴らす。すると瞬時に白い光が地面を走り、ラッドの足元に線を描いた。
周囲をぐるりと囲む光の軌跡。立ち上った輝きに照らされ、ラッドは円の内側で眩さに目を細めた。
「これは、魔力の発動光……?」
「その『形』を見て、魔法陣を描き完成させてみろ」
あまりに端的な説明だったが、過去に幾度も召喚契約を試みた経験のあるラッドには、その内容が概ね理解出来た。
最初から決められた属性の魔法陣を使って精霊を召喚するのではなく、自分が思い描いた事象から合致する精霊を喚び込めというのだ。
様々な本を読んで召喚契約を試していたが、ここまで自由度の高い方法は初めてで逆に困惑する。
「──見せてもらうぞ」
「……え?」
相手の呟きの意味を問う暇もなく、円から溢れ出す魔力光によって視界が白一面に染まる。目の前に立つ教師の姿も見えなくなると、ラッドは足元に視線を落とした。
仄かな青い光を放って浮かび上がる円の外は一面真っ白で、霧を凝縮したように不安定な魔力が濃く漂っていた。
ずっとここにいたら、自分も白に溶けて消えてしまうのではないかという錯覚を覚える。
しかし今は、そんなことを気にしている場合ではない。ラッドは精神を集中した。
直接何かを描き加えるのではなく、頭にイメージを興し魔法陣を描く。そうして完成した陣は、定められた言霊を口にすることで明確な形を持ち、精霊として術者の前に現れるという。
マシエに習った召喚契約を行う際の基礎に添って、ラッドは足元に広がっている円と同じものを脳裏に描く。
だが、あらかじめ書物に描かれた陣をイメージすることに慣れていたラッドとしては、突然自由に描けと言われてもぱっと思いつくものがない。
どうしたものかと考え込むラッドの前で、音も立てずに人影が浮かび上がった。
白い霧の中から現れる人影。昨夜の不気味な夢が思い出され、まさか、と一瞬背筋が小さく震えた。
だがラッドの予感に反して、歩いて来たのは小さな子供だった。
少し緑がかった青い髪、泣き腫らした金色の目──溢れる涙をしきりに上着の袖で拭い、嗚咽を漏らしながらとぼとぼと歩く幼子の姿を見て、ラッドは眉間に皺を寄せた。
「……忘れたと、思ってたんだけどな……」
あれは紛れもなく、過去の自分自身の姿だ。
その特異性から多くの人に疎まれ、周りに友達のいなかったラッドは、泣いてばかりの子供だった。
預けられた当初は人見知りの激しさから新しい家族にも上手く馴染めず、積極的に声を掛けてくるソニアを怖がってはあちこち逃げ回っていた覚えがある。
臆病で泣き虫だった昔の自分を嫌うラッドにとって、目の前に在るのは既に記憶から失われつつある時間だった。
「あぅ……っ」
僅かな地面の窪みに足を取られ、幼い子供がぱったりと転んだ。顔を更にくしゃくしゃにして、小さなラッドは再び泣き出しそうになる。
当時はいちいち考えていなかったが、こうして客観的に見ると随分と鈍臭いものだ。昔の自分に呆れながら、ラッドはぼんやりと子供の様子を眺めていた。
「(ラッド、試験始まった頃かなぁ……)」
召喚魔法に関する講義を受けていたソニアは、欠伸を噛み殺しながら担任の話に耳を傾けていた。
とは言っても、内容の半分以上は聞き流している。今のソニアにとって──特に普段と変わらない気がするのだが──退屈な授業よりも、ラッドの試験の方が遥かに重要なのだから仕方ない。
ラッドが自分との約束を破ったことは、これまで一度もないのだ。彼なら、きっとできると信じていた。今度こそ、必ず。
惜しむらくは、この授業のせいでラッドが精霊を召喚する現場を直接見られないことだ。ラッドが喚ぶ精霊は、一体どんな姿をしているのだろう。
属性は? 見た目は? そして性格は……?
あぁ見たい、ものすごく見たい。
ソニアは窓側の席から外を眺め、溜め息を一つ吐く。と、そこで僅かに目を見開いた。
「(……おぉ、ラッキー!)」
眼下に見える修練場の一点に、小さなドーム型の光が広がっている。契約用の魔法陣によって発生する結界だ。傍らには試験の審査役らしき人物の姿もある。ならば間違いなく、あの光の中心にいるのはラッドだろう。
「(頑張れ……頑張れッ!)」
最早授業などそっちのけで声なき声援を送っていた時、視界の端で何かが動く。何気なくそちらに目をやった直後、ソニアは思わずがたんと音を立てて立ち上がった。
「……リュノー? 何をしている」
「あ、あぁっと……」
水色の髪の教師が、訝しげに問う。教室にいる生徒達の視線が、一斉にソニアへと注がれていた。
「ちょっと腹が痛いので、治癒室行って来ます! 良いですよねッ!?」
具合が悪いなどとは微塵も感じさせない声量で宣言すると、自称病人は返事を待たずに教室を出て行った。
ばたばたばた、と音を立てて廊下を疾走する。途中で一旦立ち止まると、等間隔に並ぶ窓から外の様子をもう一度確認してソニアは舌打ちした。
斜向かい側の学舎の露台に見えたのは、キリンスの姿だ。
何か呟いていた彼の掌から、魔法陣が浮かび上がる。魔法陣から漏れ出た魔術の発動光がくるくると渦を描きながら影を作り出し、キリンスを乗せたまま中庭の中央へ──ラッドがいるであろう、修練場の魔法陣に向かって飛んで行く。
キリンスは、ラッドの試験を妨害しようとしているのか。
「あのヤロ……ッ、絶対邪魔させねぇぞ!!」
嫌な予感が確信に変わり、ソニアは再び走り出した。