Promise with the Garnet  Page.03

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 一夜明けての翌日。基本教室での朝礼が終わった後、講義のために移動を始める多くの生徒達とは別に、ラッドは一人で廊下を歩いていた。


 学院では二年生に昇級すると、基礎的な講義に加えて週に何度か選択制の授業が組み込まれる。

 この授業では同じ時刻に展開する複数の講義や実践の中から、好きな内容を選択して勉強ができるのだ。自分の得意な分野の講義を選び長所を伸ばす生徒もいれば、苦手な科目の基礎が学べる講義を選んで、短所を補おうとする生徒もいる。

 また自分で好きな科目を学べる反面、苦手な講義を修了できなかった時に単位不足に陥るのを防ぐため、生徒の中にはいざという時の保険として授業数を多く取る者もいた。

 ラッドは他の選択授業をいくつも履修しており、殆どの科目において成績も上位に安定している。そのため今の時間は講義を受けず、二階にある図書館で読書に没頭することが多かった。

 今朝はその空き時間を利用して、修練場で精霊の召喚試験を受けることになったのだが──


 最悪だ、とばかりに眉を寄せる。廊下で鉢合わせたクラスメイトの姿に、ラッドは内心で舌打ちした。

「よーぅ、エイディウ」
「またお前か、キリンス」

 待ち伏せていたかの如く、目の前に立ち塞がって行く手を阻む男子生徒の姿があった。ラッドは冷やかな一瞥を投げる。若草色の瞳は明らかな悪意を込めて歪められ、短く刈った茶髪は窓越しの陽光を受けて所々橙色の筋を見せていた。

 ラッドの編入当時から喧嘩を吹っかけられたり、昨日の授業中にも足を引っ掛けようとするなど、彼がラッドへ繰り返してきた嫌がらせを数えれば枚挙に暇がない。故に、簡単に忘れられる顔ではなかった。

「この時間いつも図書館で独りぼっちの誰かさんが、今日はどこへ行くつもりかね?」
「──どけ、お前の相手をしてるほど暇じゃない」
「知ってるさ、精霊召喚試験だろ?」

 ラッドのぴしゃりとした返事に対しても、キリンスは口元を吊り上げ小馬鹿にしたような笑みを浮かべたまま動こうとしない。

 四階建ての学院は広く、三階に並ぶ基本教室から中庭の修練場までは結構な距離があった。もちろん試験を監督する教師を待たせるわけにはいかないので早めに教室を出たつもりだったが、こんな障害をいちいち相手にしていれば、間に合うものも間に合わなくなってしまう。

 問答したところで時間の無駄だということは分かり切っているし、今朝のラッドは奇妙な夢を見たせいで虫の居所が優れなかった。

 小さな溜め息と共に、妨害を無視することに決める。脇を通り過ぎようとしたラッドの左腕を、キリンスが掴んだ。

「……離せよ」

 刺すような視線を向けたラッドの言葉にも怯まず、キリンスは掴む手に力を込める。

「魔法一つまともに使えない落ちこぼれのクセに、生意気ばっか言ってんじゃねぇよ。お前なんか、術師としては出来損ないも良いところじゃねぇか」
「そんな話はとっくに飽きた」

 話題が今更すぎて、辟易すら覚える。ラッドは苛立ちを示すように、今度こそ小さく舌打ちした。

 魔術師を養成するこの学院において求められるのは、魔力を具体的な形に変え、魔法や魔術として行使できる人間だ。学院で学ぶことを志し、その意志を認められて入学許可証を受け取った者には、均しく門が開かれる。

 だが、一切の魔術を使うことができない人間が学院に入学したことで、学院創立以来の伝統は綻びを見せた。魔術学院の印章を封蝋として捺された手紙が、リュノー家で暮らすラッドの下に突然届いたのである。


 ラッドは、魔法が全く使えない。

 自分は魔術師ではない。だからこの許可証も最初は何かの間違いだと思ったし、先方にそう伝えようとした。

 しかしラッドには、魔法の素質を持つ者ならば視えるという精霊の姿を鮮明に認識することができた。それこそ、物心付いた頃から。ほんの小さい頃には、周囲にいる普通の人間や動物との区別すらろくにできなかったくらいなのだ。

 そこでマシエが考えたのは、ラッドが“精霊術師”としての素質を強く持っているからではないか、という可能性だった。

 精霊と契約を交わして初めて、他の様々な魔法を生み出す力が目覚めるという『精霊術師』。ラッドに適性があるとすれば、該当する可能性が最も高い魔術師だと。

 何せ他ならぬラッドの父親が優秀な精霊術師であったし、精霊術師はその性質故に、後に才を伸ばし系統を違えた魔術師達の多くにとっても、基礎だと言われているからだ。


 それでも、ラッドにはすぐに精霊契約を行えない事情があった。

 精霊は普通、自らの波長に合う魔力を持つ人間の近くへ集まる。術師が精霊から力を借り受けるように、精霊もまた相性の良い人間を選ぶのだ。そうでなくとも小さな精霊には好奇心の強い者が多いため、子供や困っている人間に興味を持って傍にやってくることが多いらしい。

 だが、ラッドに対する精霊達の態度は全く違っていた。手を伸ばせば離れ、ラッドが近付こうとしてもすぐに怯えた様子で逃げて行ってしまう。

 周りの誰より精霊を視る力に長けたラッドは、精霊達の態度に疑問を抱いたまま常に精霊達から避けられて生きてきた。

 そんな中で、ラッドに突然学院の入学許可証が届いたのだ。


 育て親であるリュノー夫妻や、既に魔術学院に在籍していたソニアとの話し合いの末、ラッドはそれまで通っていた学校から魔術学院への編入を決めた。

 魔法使いによる魔法使いのための学び舎で、一体どんなことを学べるのかという純粋な知識欲もあった。だがそれ以上に、彼らと同じ世界を知るのが、魔術師の資質を持つ者としての責任だと思ったからだ。

 力を持っているからこそ、知っておくべきこともあるはず。いつか魔法を使えるようになった時には、しっかりした心構えを以って操ることができるように。

 幼い頃から既に世間の陰を知っていたというのは多少辛くもあったが、殊更そんな異端者に向けられる視線が厳しくなる魔術学院に身を置いてからも、ラッドの状況はさして変わっていない。

 それでもなお、ラッドは学院で多くの生徒達からぶつけられる理不尽な誹謗中傷に耐えている。退学しようなどとも思わなかった。

 何よりも負けず嫌いな自身のプライドが、それを赦さないのだ。


「……お前みたいな魔法使いがそんなに偉いか?」

 魔法使いが絶対だ、などという風潮は信じていない。

 魔法が使えなくとも、自分はこうして生きている。人並みに育ててもらえている。

 彼のように他者を否定ばかりする魔法使いなんて、自分が尊敬する者達の足元にも及ばない。問い掛けに怪訝そうな顔をするキリンスに、ラッドは言葉を続けた。

「少なくとも、魔法関係なく今のお前より人間できてる奴は世の中星の数ほどいるよ。オレ一人相手につっかかって、馬鹿みたいだって自分で思わないのか?」

 キリンスの顔色が憤怒で赤く染まるが、胸ぐらを掴まれてもラッドは冷静だった。ぐいと身体を引き上げられ、踵が僅かに浮く。

「ッこの……!」

 まっすぐに睨み据える金色の視線を受けて振りかぶったキリンスの拳が、そこで突然勢いを殺され停止した。

「……何してんだ」

 キリンスが腕を誰かに掴まれていることに気付くまで、時間はいらなかった。耳元に響いた低い声音から、自分の行動を阻んだ相手を認識したのもその直後だ。

 ラッドは静かにキリンスのすぐ後ろへと目を向ける。

「ソニア」
「な……ッ」

 動揺を見せたキリンスの腕をラッドから剥がし、ソニアは怒りを燻らせた灰色の瞳で相手を睨みつける。

「……テメェ、黙って聞いてりゃ何様のつもりだ?」

 その右目が、紅玉を連想させる鮮やかな真紅に染まる。ソニアの周囲で、蜃気楼のような僅かな歪みが生じ始めた。やがてその空気の揺らめきは主の掌へ一つに集束し、灼熱の赤い炎へと形を変える。

 真紅の魔力で敵を焼き尽くす焔。それが、精霊サラマンダーを守護に持つソニアが最も得意とする魔術なのだ。

「リュ……リュノーは関係ねぇだろ!? 何で首突っ込んで来るんだよ!!」

 キリンスは慌てふためいて真っ青になり、わけの分からない言い訳を始める。だが、親友の隣で様子を見ているラッドは知っていた。キリンスが直接こうしてラッドに絡んでくるのは、大抵自分が一人でいる時だけだということを。

 ソニアは、契約しているのが炎の精霊として下級に位置する【火蜥蜴】でありながら、精霊魔法の実技においては学院内の生徒達でも五本指に入るほどの実力を持っているという。

 キリンスは勝てないと分かっているから、いつもソニアとの直接衝突を避けて気に食わないラッド一人を狙い、ちょっかいを出してくるのだろう。自分より立場が弱い人間を選んでこそこそ攻撃するなど、いかにも小物然としているではないか。まったく馬鹿らしい。

「よせ、ソニア!」

 そんな相手を庇う気など毛頭ないが、ここで揉めごとを起こされては自分のために怒ったソニアへ非が来てしまう。そうでなくても、学舎内で魔法を使った喧嘩はご法度だ。

 頭に血が昇り、炎を今にもキリンスに向けて放とうとしていたソニアの肩を掴んで引き止める。

「……おい、キリンス。そんなにオレが気に食わないか?」

 ぴたりと動きを止めたソニアの肩を宥めるように叩きながら、ラッドはすっかり弱腰になっているキリンスを見遣った。ぎっと睨みつけてくる視線は、無言の内に肯定を示している。

「──それなら賭けないか? 知っての通り、今からオレは精霊召喚試験を受けに行く。オレが精霊を召喚して、契約できればオレの勝ち。できなければお前の勝ちだ。オレが負けたら……」

 そこでラッドの口から続いた提案に──キリンスは一瞬ぽかんとなった。

「オレが負けたら、オレは学院を辞める」
「はっ!?」

 これに目を剥いたのはソニアだ。突然何を、と言いたげに見返してくるソニアを一瞥だけで黙らせ、あくまで平坦な声音でラッドは言葉を継いだ。

「お前にとっては気に入らない邪魔な存在が消えるんだ、すっきりして良いだろ? ──その代わりオレが勝てば、お前にはオレの頼みを一つ無条件に聞いてもらうけどな」

 どうだ? と問うラッドを見たキリンスの目に、一拍置いてぎらりとした光が宿る。


「……お前の頼みを、一つだと?」

「些細な用事だ。片付けばそれで終わり、一切他言はしない。もちろん、違法性もない」


 ラッドに対し、キリンスは眼光もそのままに黙り込んで少し考えている様子だった。


 ──コイツが陰気臭いのはいつものことだが、今日に限ってこんな話を持ちかけて来るなんて。何か策があるっていうのか?

 いや、そんなハズはない。今まで魔力の一つも形にできたことがない落ちこぼれに、今更力を貸してくれる精霊なんかいやしない。


 勝利を確信しているのか、その口元が歪む。見下すように鼻を鳴らして、キリンスは頷いた。

「……へッ、そんなんで良いのか? 叩き出されてから後悔しても遅いぜ」

 未だ全身から魔力を揺ら立たせ、威嚇するように睨むソニアの視線がキリンスに突き刺さった。だがそれを制するラッドの表情からは、何も読み取れない。その無表情が、またキリンスの神経を逆撫でする。

 こちらが何を言おうが何をしようが、些細な反応しかない。最初に絡んだ時から、こちらの言動に悲しむことも怒ることもしない。思い出したように口を開き毒を吐くことはあるが、それだけだ。

 非魔術師でありながらここにいることも気に食わないが、無感動で無気力に思えるその姿が何より気に入らなかった。

 魔法使いとしての力も意志も、誇りすらない。そんな人間が、栄誉あるこの魔術学院に在籍しているなんて。

 お前なんか、お前なんか、お前なんか……!

 ぐちゃぐちゃと攻撃的な感情が渦巻く胸中で、キリンスは形にならない罵詈雑言を吐き続ける。

「……好きにしろよ」

 今度こそキリンスの脇を通り過ぎたラッドの背中を見つめながら、ソニアは心底不服そうな様子で指を鳴らす。すると彼の掌で燃えていた炎を始めとして、ソニアの周りに渦巻いていた熱の魔力が一気に霧散した。


 やがてソニアもラッドを追い、二人が立ち去った後。キリンスは歯噛みして壁を殴り付けた。

 賭けそのものは、こちらが勝つに決まっている。そう頭で確信していても、自分よりはるかに劣る、気に食わない相手が持ち出した交渉に乗ったというだけで、自尊心に傷が付いた。

 だが、これは彼自らが口にした最大の好機でもあった。ラッドの退学は誰に無理強いされるでもなく、“本人の意志”によって行われるのだ。

 自分が勝てば、アイツをこの神聖な場所から追い出すことができる。

「見てろよ……!!」

 中途半端な力しか持たない落ちこぼれが、俺に生意気な口を利いたことを後悔させてやる。

 俺達のような魔法使いと同じ場所に立つなんて、馬鹿な考えを二度と起こせなくしてやる。

 あるいは、いっそ──

 キリンスは、沸き起こる憎悪に口元を吊り上げた。


 そう、賭けに勝ちさえすれば良いのだ。

 ──例えどんな手を使ってでも。





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