piece.08
夜の帳が降りる頃

 乾いた音と共に、火の粉が爆ぜる。虫の鳴く声が辺りに響いていた。

 ホルンの街を出てから、初めての夜だ。小さな焚き火を囲んで、旅仲間となった二人は向かい合うように座っている。揺らめく灯りに小枝を放りながら口を開いたのは、エスパーだった。

「特定の目的地がない、とは聞いたが。これから、どこに向かうつもりだ?」
「そうですね。まずは……東端の、グラッフェンに行きたいなと」

 人里を移動することで守護水晶の加護が及ぶ範囲を調査し、また必要に応じてそこにある守護水晶の点検・修理を行うつもりだった。それは、本来旅回りで暮らすことが多いグラスランナーの性に合う仕事とも言えた。

「グラッフェンは、ネバーグリーンが起きるまでは港街として機能していた街なんです。徒歩なら大体あと四日から五日はかかるかと」
「……あそこか。大災害で海路が潰れて一気に寂れたらしいが」
「はい。今では結晶化した高波から石材を削り出す技術ができたおかげで、少しずつ活気が戻ってるって話ですよ」

 ソロはムジカから受け取った周辺地域の地図を広げ、ホルンから東に伸びた――今自分達が進んでいる街道を探し出し、指で辿る。

「この辺りの地図か?」
「何枚か譲ってもらいました。これらの範囲を外れれば改めて買う必要がありますが、しばらくの道中は充分対応できます」

 ネバーグリーン以降、フィン・マ・クルでは世界地図よりも一定範囲の地理を描き収めた地域地図が普及している。

 大地を引き裂いた大災害により、海もまた激しく荒れた。美しかった海原は渦巻く毒の潮に汚され、そこに多くの魔物が棲み着く。それらの障害は、海路での交流を困難なものとしたのだ。

 やがて人々は分かたれた世界全体の形を知るよりも、より範囲の狭い自分達の生活圏に関して詳細な情報を求めるようになった。

 元々旅暮らしが長いというムジカの持っていた地図には書き込みが多く、インクの色の変化からしても年季が入った様子だった。増えた施設や自然災害で封鎖された山道など、ずっと情報を更新して同じものを使い続けていたのだろう。

「ホルンで治した水晶の力が、きっちりここまで届いているのか。届いてなくても比較的近くか街に水晶があるなら、問題なく力が発動しているかを調べる必要があります。要は周辺をぐるっと回った後に、北へ進む形で行きたいなと……エスパーさんが気になる場所があれば寄りますけど」
「場合による。そこそこ真剣に考えてはいるらしいな、いきなり忘却の地につっこむなんて言い出す阿呆じゃなくて何よりだ」

 身も蓋もない言だった。確認するように指を折りながら、ソロは苦笑いする。それはいくら何でも無茶だろう。

「渡る手段も確保してないのに、それはどうかと」

 エスパーは微妙に片眉を上げ、同意するように頷いた。比較的真剣な懸念事項だったのか、あの突飛な父親に似ていればあるいは、と思われたのかもしれない。

「しかし結界なんて目に見えないものの境界線を、どう調べ歩く?」
「普通にこれを持って。最初は父の同業者の方に依頼して道具の購入を考えてたんですが、この杖なら守護水晶の力を感知できるそうなので」

 ソロが両手で抱え持った杖の先で、吊るされた水晶がぼんやりと光った。ホルンの守護水晶と同じ、薄青色の灯だ。

 グラスランナーは、他の妖精族と比べて魔力や魔法の扱いには疎い方だ。守護水晶の魔力を直接感じ取ることが難しい彼らの欠点を補う形で、ムジカはいい仕事をしてくれた。

「……アイツ、本当に職人なんだな。人ってのは分からないもんだ」

 普段ムジカが手がけている仕事は、細かい装飾品の製作や武具の一部に刻む意匠の依頼などが主だ。そんな彼が一から作った武具を手に取るのは、ソロも今回が初めてだった。

「あの、聞いてもいいですか」

 春先とはいえ、夜になればまだまだ冷える。ソロが暖を取るために購入した酒を少し木杯に注いで先に渡すと、エスパーは無言で受け取った。

 続きを促すように顎で示すエスパーに、ソロは気になっていたことを口にする。

「エスパーさんは……父と、どういったお知り合いで?」
「……昔、酒場で泥酔したアイツにガラクタを売りつけられたのが最初だ。印象は最悪だったな……それから色々あって、運び屋を始めてからはアイツからの仕事も何度か請けた」

 身内に話していいものか悩んだのか。微妙に間を置いた青年の答えに、ソロは内心で呆れる。

 酔ったまま商売をして相手を怒らせるなんて、父のいい加減さは今も昔も変わらないのか。素面で商売をしているだけ今の方が安定してはいるが、素面でさえあの性格だ。酔った彼がエスパーにどんな暴挙を見せたのか、想像するだけで頭が痛い。

「……あんたが気に病む話じゃない。アイツも当時に比べて少しは落ち着いたみたいだ」
「エスパーさんは、父の話からすると大分お若く見えますけど……おいくつなんですか?」

 エスパーの見た目と、言動の不一致。それがムジカとのやり取りを見ていた時、ソロが覚えた違和感だった。二人の態度から考えても、実年齢はエスパーの方が上だとしか思えない。

 魔法の扱いに長け、整った容姿を持ち、若い姿のまま緩やかに歳をとる。ソロが真っ先に思いつくのは、グラスランナーと同じ妖精の一種・エルフ族だ。

 エスパーの耳はエルフのように長くないが、今の時代には異種族間交流も多い。外見的な特徴が多少薄くなっていても何ら不思議はなかった。

「……確かにムジカよりは上だが、実際は二十と少しを超えた辺りで忘れた。厳密な歳がそこまで重要か?」
「えっ? いえ、そこまででは」
「なら、いいだろ」

 どことなく気だるげな様子で問い返され、ソロは慌てて否定した。歳を忘れるのが早すぎるような気もするが、言われてみれば年齢に対する価値観なんて人それぞれだ。

「それから、もう一つだけ……エスパーさんが使う魔法に関して、教えてもらえませんか?」

 エスパーの扱っているような魔法を、ソロは今までに見たことがなかった。

 銃のこともある。彼の腕に関して、少しでも触れておきたいと思った。旅で頼るべき、用心棒として。

「確かに、護衛の力量は聞いておくべき点だ。あんたは賢い」

 そう言ったエスパーが脇に転がっていた小石を手に取るのを、ソロは何ともなしにじっと眺める。その反応を見ながらエスパーが石を軽く握り込めば、彼の手の中から淡い光が漏れた。

「わぁ……」

 光は一瞬だけ強くなったが、やがて徐々に弱くなり消える。エスパーが再び広げた掌には、黒ずんでひび割れた小石が残っていた。それは砕け、砂のようになってぱらぱらと落ちる。

「俺の魔法は、鉱物や鉱石……あらゆる石を媒体に、魔法を作り出す力だ」
「石ですか? そこらじゅうに転がってる?」

 ソロの問いに、エスパーは石の欠片を拾って頷いた。

「何でもいい訳じゃない。特に攻撃魔法の媒体として使うなら、それなりの質を持っている必要がある。更に、石一つ辺りで撃てる回数も大概限られる」

 普通の小石ではほぼ役に立たない。鉱物や鉱石に数えられるものなら何でもいいけれど、必要なのはそれなりの質。つまりは……。

「……相応に上等な石を手に入れるには、だいぶお金が必要なんですね?」
「買うか、自分で採るか、依頼の報酬で貰うかだからな」

 眉間に皺を寄せるソロとは反対に、エスパーは口元の片端を上げる。少々意地の悪そうな笑みだった。

「どうする? 俺を雇うのは、高くつくぞ」
「……」

 エスパーの魔法に、そんな種があったなんて。改めて自分の考えの至らなさに気付かされ、ソロは内心で唸る。

 ムジカは言ってなかった、などと思っても仕方ない。ソロ自身、エスパーの得物が「銃」であることは先に見ている。小型の銃は特に珍しい武器であり、その弾丸は「貴重」だと言われていた。

 金銭面の負担に関する情報は、武器の件一つで充分入手していたはずなのだ。単なる自分の浅慮を、「知らなかった、教えられていなかった」という言い訳にはしたくなかった。

 確かにエスパーの魔法は強力で、頼もしい。だがそのために充分な資金を約束できない以上、何も言わず同行してもらうのは騙すことと一緒だ。

 悩んだ末、ソロは立ち上がって頭を下げた。

「エスパーさん、ごめんなさい。僕は……」

 一度了承してくれたエスパーやムジカには悪いが、何よりソロにはエスパーを護衛に付けられるだけの懐が整っていない。相手に無償の善意を強要することは、ソロの良心に反する行いだった。

「……冗談だ」

 ソロの謝罪を遮る形で、エスパーが首を横に振った。

「最初に依頼がどうのと言ってきた時から、分かってたことだ。普通、駆け出しの若い職人にすぐ俺の力を買うだけの財力があるとは思えないからな。ましてあんたみたいなお子様には」
「お子様じゃありません。けど、分かってたならどうして……?」

 エスパーは最初に交渉を持ちかけられた時から、ソロが報酬を満足に出せないことを理解していた。あるいは了承の返事を出す前にしばらく黙り込んでいた理由が、これなのかもしれない。

 また、知っていながらわざわざ護衛を引き受けてくれた彼の本心はどこにあるのだろう。思い出してみれば初めて見かけた酒場でも、報酬が安すぎるとかで揉めていたような気がする。

「……依頼人も金持ちばかりじゃないってことだ。他分野の魔法にも知識はあるが、石の魔法が一番得意なことに違いはない。道中であの程度の力を求めるなら、手間として寄り道を考えたい」

 ソロにとっては、願ってもない話だった。

 魔物が増えた今の世界で、旅歩きそのものを目的としたような旅だからこそ用心棒が必要なのだ。寄り道など、手間のうちに入らない。

「構いません。改めて、これからよろしくお願いします」

 報酬の問題があろうとなかろうと、仕事の依頼人として相手を信じ、誠意を持つべきだ。

 再度深々と頭を下げたソロに、エスパーは目を細めて小さく頷く。どこか笑み混じりの声音で答えた。

「……契約成立だ」

 見上げる空には、夜の黒い影になった木々の枝葉の隙間から爪の先ほどの白い月が見えていた。


 小さな職人と石の魔術師が出逢った、最初の夜のことである。


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