Phantom of the Emerald Page.07

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 精霊魔法とは、共同作業である。

 術を扱う者と、そこに更なる力を貸し与える精霊。二つの意志が共鳴して初めて発動するものだからこそ、精霊術師は精霊の声なき言葉を無視してはいけない。相手の信頼を裏切るような愚を犯してはならない。


 その日は、何だか当の精霊の様子が普段と違っていて。震えるような何かへの怯えとも取れる気配の変化に、しかし自分はまったく頓着していなかった。

 何日も前から、親友まわりのことで少なからず気が立っていたのだ。どうにもできないような状況に、自分の無力さや停滞感がもどかしくて仕方なかった。何とかしたいのに、自分の力が及ばない。その事実への苛立ちが先行して、他のことがまったく目に入らなくなっていた。

 きっとそのせいだろう。発動した魔法を暴発させる、なんて初歩的かつ重大なミスをやらかしたのは。

 模擬戦闘のさなか、自身の魔力を練り上げて魔法を形作る。しかしそこで生まれた炎が黒く揺らめき、己の腕を飲み込むという異変を目にしてソニアはようやく我に返った。

離れろ!!

 周囲の生徒達に叫んで魔法を打ち切ったが、修練場の結界に吸われてなお行き場を失くした魔力が至近距離で炸裂する。視界が熱で白く染まり、吹っ飛ばされていた。

──あぁ、そうか。

 色が薄れていく視界の中、ソニアはぼんやりと理解する。普段と違っていたのは精霊ではなく、自分の方だったのだ。



「ラッド、悪いんだけどさ……今日、お前が運転してくれねぇ? 僕もうダルくてダルくて」
「最初からそのつもりだった。むしろそのままハンドル握られたらどうしようかと」
「家着く頃には親父か母さんも帰ってきてるかな? 絶対怒られるじゃんコレ、制服ボロボロのまんまだし」
「治癒室で治る範囲だっただけマシと思え。もう少しひどければ病院行きだったろ」

 治癒室の結界は外傷の治療に充分な効果を発揮したが、やはり万能というわけではない。魔力の過剰消費で疲弊したソニアの足取りは、若干心もとなかった。

 しかし単純に養生すればいいと分かっている分、体調に関しては二の次だ。ソニアやラッドの不安の種は、もっと別のところにあった。

「……お前ら人の目が届いてないとこで、随分ヤンチャしてんだな」

 案の定、と言うべきか。玄関で仁王立ちするマシエの姿に、少年達は顔を引き攣らせた。ラッドの後ろで身を縮ませているソニアの恰好をてっぺんから爪先まで眺め、マシエは顎をしゃくる。家族会議の合図だった。


「別にこのテの報せが届くのは初めてじゃないがな、今回のは流石にどうかと思うぞ」

 マシエは複雑そうな顔で、椅子の上に正座という姿勢で固まった子供達を見つめる。ソニアの正面に着く彼の手元には、学院章の赤い封蝋を捺した手紙があった。

 差出人がハーシェルであることは、特有の筆跡ですぐに分かった。大階段での一件にソニアの暴発事故が重なっては、流石に教師として黙っているわけにもいかなかったのだろう。学院独自の連絡網でもあるのか、保護者への情報伝達の早さに眩暈すら覚える。頭が痛いのはマシエも同じようで、大きく溜め息を吐いた。

「……黙ってて、ごめんなさい」

 ラッドは、ゆっくりと頭を下げる。身近な人間からの想いに向き合おうとしていなかったことや、自分にそんな価値はないのだとどこかで諦め続けていたこと、様々なものへの謝罪を言外に込めて。

「事故って言ってもジェリスが来てくれて、最初頭をぶつけた以外は何もなかったんだ。原因の特定ができたわけでもなかったから、話してもおじさん達の気を揉ませるだけだと思った。余計な心配かけたくなくて、それで」
「そういうの普通、『何もなかった』とは言わねぇンだよ。お前悪ィ癖だぞ? 子供が追い詰められてる事情を、他人から知らされる俺の気持ちにもなれ」

 あの日は保護者二人からの追及を避けるため、帰宅直後にさっさと包帯を外してしまったので怪我を悟られずに済んだのだ。この数日経過を見ていたけれど、ハーシェルが心配していた痛みや体調不良などの症状は出ていなかった。

「……言っとくが二度目はねぇからな」
「うん」

 がしがしと頭を掻くマシエは呆れ顔だったが、再度頭を下げるラッドを見て頷いた。

「僕はともかく、お前が治癒室の世話になるようなこと初めてだったろ。ホント無事で良かったよ」
「他人事みたいに言うが、お前の方が重傷だったてここに書いてあるからな? 全部ゲロるまで放さねぇぞ」
「魔法の安定には精神の安定が第一って教えたはずよ。いい加減な気持ちでサラを振り回すのはやめなさい」

 ラッドに向けたそれよりも圧を含んだ両親からの畳みかけに、ソニアはうっと言葉を詰まらせた。

「……お察しの通りです、ハイ」

 精霊魔法の場合、暴発の原因として挙げられるのは術師側の精神状態や精霊との相性によるものがほとんどだ。ソニアをそのどちらかで見た場合、前者の可能性が高いと容易に想像できるのだろう。すぐに核心を突く辺り流石は親子というべきか、息子をよく理解している。

 ソニアは言葉を選んでいるのか唸り声を上げながら顔を顰めていたが、気まずそうな視線をラッドに向けた。

「……お前のことだよ。実技中に煽られて、カッとなったんだ」

 ぼそりと、呟くように言う。ラッドは目を丸くした。

「ジェリっさん来てお墨付き貰ってからも、お前の状況って正直悪化してるだろ? 無関係な奴らにまで避けられたり、挙句突き落とされたり……そんな卑怯な真似を黙って見てるだけとか、【仕方ない】で片付けたり切り捨てるような連中に、イラついてたんだよ」
「……あぁ、それで……」

 そこまで言われて、ラッドもようやく納得した。ラッドを取り巻く状況に気を揉んでいたソニアにとって、当の本人の悲観した考えや諦めの姿勢は地雷でしかなかったのだ。彼の気性は小さい頃からよく知っていたはずなのに、いや知っていたからこそ甘えていたのかもしれない。

「お前大人しく見えて強かだし、黙って理不尽や横暴を受け流すだけのヤツじゃない、ってことは知ってるんだけどさ……いじめの光景指差して遠巻きにされるような今の状況を、階段から突き落とされるような日常を、お前自身は仕方ないって言葉で済ませるつもりなのかって……チクショ、なんて言ったらいいんだろ……」
「──分かってる、ちゃんと伝わってるよ。お前の言いたいこと」

 少しずつ吐き出しながら目元を擦っているソニアを見て、ラッドは心底申し訳ない気分になる。これだけ身内を心配させておいて、自分は一体何をしていたのかと情けなくなった。うまく言葉にできない感情が、胸の奥からせり上がってくる。

「何か……本当、色々ごめん」

 違う。自分のために泣いてくれるような人間達に対して、ただ謝るだけでは足りないのだ。行動で表せるようにならなければ、意味がない。そのことを、痛いくらいに感じた。


「お前、サラには後で謝っとけよ。明確な理由さえ分かればサラだって怒りゃしねーさ」

 鼻を啜って頷く息子に苦笑した後、マシエはひと呼吸置いて「それと」と切り出す。

「……前に、課外活動行きてぇって言ってたな」
「理由も話さずにつっぱねたの、そっちだろ。気でも変わったワケ?」

 途端に剣呑な視線を送るソニアに、マシエは親指を口元に当てて何事か考え込んでいる風だった。

「友達が誘ってくれたんだけど、先生に相談したのは階段での一件があった直後なんだ。学院の外に出られる時間使って、色々考えたいって思ったのと……現地の植物とか、色々見てみたかったから」
「それが反対する理由も話さない、ただダメだなんて言われたって納得できねぇよ」

 本で得た知識を、自分の目で確かめたい。まだ見ぬものを知りたい。ラッドの中で、そんな知識欲が強く疼く。マシエを困らせている自覚はあったけれど、意思表示や自己主張に対して腹を決めた矢先だ。

 しかし、何故マシエは今回に限って強く反対するのだろうか。

「おじさんが反対する理由って、何? 駄目ならせめて理由が聞きたい」
「…………それは……」

 マシエはばつが悪そうな顔で黙っていたが、根負けしたのか項垂れるように肩を落とす。観念しろってか、と小さく呟くのが聞こえた。

「この手紙にもよろしく書いてある。頭ごなしに反対して、子供の意志を削ぐのもよくねぇからな……」
「え、じゃあ……」
「ソニア、ラッド。聞け」

 まさか本当に気が変わったのか。思わず腰を浮かせるソニアを視線で制し、マシエは眉根を寄せる。二人の顔をじっと見据え、低い声音で告げた。

「行っていい。ただし東保護区にだけは近付くな」


──引きずり込まれるから、と。





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