Promise with the Garnet  Page.01

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 今となっては、ずいぶんと昔の話。



「おとうさんは……?」

 泣き腫らした目に浮かぶ涙を拭ってくれた手が、ゆっくりと離れる。自分の低い背丈に合わせて腰を落とし、身を屈めた青年が何かを呟いた。

『十年……あと十年したら、』

 視界を掠めて風に流れる、銀糸の髪。

『だから……』

 夕日よりも赤く、紅い。鋭い輝きを帯びた深い色の眼はガーネットのようだ。

 頭に乗せられた青年の手の温度を、ぼんやり感じ取っていた。

 聞きたいことはいくつかあったのだが、今自分の目の前にある世界を映している主はただ相手の言葉を聞きながら黙りこくっているばかりで、口を開かない。

『ラッド、……』

 発した声を聞き取ることはできなかったが、相手へ伸ばした細い両腕が視界に入った。

 まるで紅葉のように小さい掌に、いとも容易く折れてしまいそうな指先。

 普段よりひと回りもふた回りも低い自分の視界で、今ある光景が夢なのだとすぐに悟る。

 最近では特に珍しい内容ではなかったので、気付くまで大した時間は掛からなかったし、別段驚きもしない。

 腰を屈め、わざわざこちらの視線に合わせている相手の顔もおぼろげで、うっすらと霧がかかったように消えていく。

 彼の姿を視覚で“捉えた”と感じた後にゆっくりと眼を閉じ、短く呟いた。


 また、アンタか──




 運転手の目の前に来るように、中央に配置されている調律機器から左右両側へと伸びた細長いハンドル。本来であれば、一人乗り用に設えられた座椅子。地面 に側している底面には、車輪の代わりに一抱えもある丸い鉱石が前後に二つ取り付けられ、その機体を低く宙に浮かせている。

 あらかじめ鉱石に溜めておいた魔力を燃料にして動く乗用機であり、この街でもさして珍しくない程度に普及した【機走浮盤】と呼ばれるものだ。

 お気に入りの本屋やよく買い物に立ち寄る市場など、朝早いためにまだ静かな通学路を横切って走るそれに、彼らは乗っていた。

 一人は緑がかった深い蒼の髪と、月を思わせる金色の瞳を持つ少年。年齢のわりに少々大人びて見える聡明そうな顔は、どこか物憂げで陰りがあるようにも見える。

 そんな彼をすぐ後ろに乗せてハンドルを握っているのは、亜人族の一種・エルフ特有の長い耳を持つ中性的な顔立ちの少年。銀の色味が強い薄紫の髪は、後頭部で結い上げられていた。

「ぁふ……」
「ラッド、今朝からその欠伸何回目だっけか? いつもの寝不足?」
「いや違……わない、のか? よくわからない」

 再び小さな欠伸を一つ。背中越しに親友から問われて、青い髪の少年──ラッドは軽く首を横に振る。半分ずつ譲り合う形で座っている座椅子の縁を左手で掴み、空いた片手で風に靡く友の長髪を避けた。

「しかしお前、最近ホントに疲れた顔してるよなぁ。青い春を謳歌すべき歳の若者が、朝からそんなことじゃあイカンぜ? いつも親父も言ってるじゃん」
「ソニアが落ち着きないだけだろ。それに顔なんて見てもいないのに分かるか」
「僕が何年お前の相棒やってると思ってんの? そんなの声聞きゃ一発でわかるに決まってんだろ」

 何気なく空を見上げている表情から出る声は、少々抑揚に乏しい。長年の付き合いが影響して、親友であるソニアにはラッドが今どんな顔をしているかまで頭に浮かぶ。背後からは、例外なく小さな溜め息が聞こえた。

「溜め息は幸せが逃げるぞ!」
「……そうだな」

 本来なら顔を見なくても分かるはずの彼の様子を窺い知ろうと、ソニアは目だけで振り返ろうとする。

 と、不意に視線を正面に戻したラッドの瞳とかち合った。

「ソニア!」

 金色の眼を見開いたラッドから、何故か焦りを含んだ声が飛ぶ。ソニアが彼の示す人差し指に倣って首の向きを正面に戻すと、視界には一面の白い石壁が広がっていた。

「どわッ!」
「つッ!!」

 響き渡った重い音と同時に勢い良く後方へ体を投げ出され、二人揃って地面に転がる。ソニアは激突の衝撃から痺れの残る腕を擦りながら、したたか背中を打って呻いているラッドを見遣った。

「あいててて……っ」
「……腰打った」

 眉間に深い皺を寄せながらも、ラッドはソニアの心配をよそにすぐ身を起こす。

「わ、悪い! 他にどっか怪我は?」
「ないよ。いつも前見ろって注意してるだろ? よそ見運転って普通に衛兵に捕まるんだぞ」

 両者共に大きな傷一つなく済んだのは、徐行運転だったことが幸いしたのだろう。しおしおと項垂れるソニアから視線をずらして、ラッドはその状況に再度顔を顰めた。石壁に激突して横倒しになった機走浮盤を、顎で示す。

「それよりも。どうするよこれ」
「……げぇっ」

 ソニアの口から蛙が呻くような声が漏れた。淡く煙を吐いて倒れる機体から覗いた丸い鉱石には、大きな亀裂が走っている。

「うあぁあああああ! 親父から借りた新車なのにッ!?」
「わりとあっさり壊れたもんだな……日頃の行いかな」
「失敬な、僕はこれ以上なく日々を清く正しく生きてるぞ!? あぁああ、動け動け……ダメだああぁああ」

 ソニアが力任せに機体を起こすと、追いうちをかけるようにヒビの入った鉱石が音を立てて転げ落ちる。ラッドはその膝裏に蹴りを見舞うことで、真っ青になった親友の絶叫を遮った。



 南大陸に広がる、建国以来千年近い歴史を持つ魔法大国エルヘンシア。ティオルタの街は現在、そんな国における有数の魔法都市として栄えていた。

 国内外に向けて優秀な魔術師を輩出してきたこの地では、“精霊魔法”という魔術形態が最も一般的に広まっている。

 精霊魔法とは、素養を持つ人間が自然などあらゆる要素に宿る精霊と契約し、彼らの力を借りることで行使できる魔術だ。水の精霊と契約すれば水の魔術を、火の精霊と契約すれば炎の魔術を扱えるようになるなど、術者に与えられる恩恵は精霊の属性に添ったものが多い。

 個々の力に差はあれど、今や街の人口で約六割を占めるという魔法使い達は総じて“精霊術師”と呼ばれた。

 また高度な文明が発展していながら、同時に自然や精霊がもたらす魔力の源──マナの要素も豊富なティオルタは、精霊術師に限らず現在特に多くの魔術師達が分布している。

 そのため魔術の歴史や実践などを教え、将来国を担う若い魔法使い達の育成を行うため拓かれた大小様々な学び舎が数多く存在する、学術都市としても名を知られていた。

 ラッドとソニアが通うティオルタ魔術学院も、街に築かれた研鑽の場の一つだ。

 濃茶色の石材を隙間なく詰めて組まれ、典麗な外観を持つ学舎の頂上には一刻一刻を正確に告げる大鐘がある。

「今の音で何回目!?」
「四回目、急げ!」

 鳴り響く予鈴の音を聞きながら、中庭の見える広い廊下を全速力で走り二人は慌ただしく自分達の教室へと駆け込んだ。

 乱れた息を整えながら自分達の席に着くと同時に、八回目の鐘の音が涼やかに辺りの空気を震わせる。間もなく教室に入って来た教科担任の姿を見て、ラッドは内心で胸を撫で下ろした。


 その日の授業は、先日行われた筆記試験の返却から始まった。

 今日におけるまで魔術師達がエルヘンシアやこの街の歴史にどう関わって来たのか、彼らの功績が現代へどんな影響をもたらしているのか、といった時間の流れについて学ぶ魔法史の授業だ。

 担当教師が厳格な性格をしていることも手伝ってか、大半の生徒達はそわそわしながら小声で気まずそうに囁き合っている。

 だが一様に不安を抱く彼らの中にあっても、ラッドは一人興味のなさそうな顔でぼんやりと窓の外の風景を眺めていた。

 席が窓側に配置されているため注意が向きにくいのを良いことに、ラッドの真後ろではだらしなく長机に突っ伏しているソニアが脱力した呻き声を漏らす。

「うぇー……僕ダメそうだなぁ、ラッドは?」
「別に普通だ。それにこんなの、点取ったからってどうなるモンでもない」

 直後に名前を呼ばれて席を立ったラッドが数列先の机まで近付くと、僅かな段差の手前で不意に誰かの足が低く伸びてきた。無造作に通路を阻んだ足と、嫌でも聞き慣れた口笛に、思わず溜め息が口を吐いて出る。

 ──またか。

「……よく飽きないな」

 わざとらしい妨害行為を行っている同期生の顔を認めてから、だらしなく投げ出された足を踏みつける。

 普段と何ら変わらぬ様子でそのまま歩き、教師から答案用紙を受け取ったラッドの背後で大声が上がった。

「いってぇな、何すんだよエイディウ!!」
「……暇人」

 念のため、体重を乗せないように加減はしていた。それに上質で分厚い革靴を履いている彼にとって、ラッドの反撃が大声を上げる程の事態に繋がったわけではないことも明らかだ。

「……エイディウ」

 一体どちらが本当の嫌がらせを受けているかにも気付かず、ただ非難の視線をよこす教師を丁重に無視する。ラッドはそのまま冷めた視線で周囲の生徒達を一瞥すると、自分の席に着いた。

 大声に反応したのか、それまでぐったりとしていたソニアが戻ったラッドの肩を指でつついてくる。

「何かあったのか?」
「いつものことだ。まともに取り合うのも面倒くさい」

 手にした答案用紙を無造作に鞄へ突っ込みながら、ラッドはそっけなく返す。ソニアがそっと辺りを見回すと、自分達のものより数列前に並ぶ長机、通路側の席に座る男子生徒が鋭い視線でこちらを見上げていた。

「いちいち気にかけるな、オレは大丈夫だから」

 事情を理解して半眼を眇める親友の心情を悟ったのか、ラッドは頭を振る。

「帰ったらテストの点数見せてくれよ、勝手に捨てる前にさ」
「はいはい、帰ったらな」

 嫌な空気を振り払おうとソニアが身を乗り出して尋ねると、ラッドは投げやりな口調で答えた。

 ラッドには、頭で覚えてただ紙に記す理屈など、肝心な時には何の役にも立たないという持論がある。

 遭遇する機会こそさして多くはないが、人に対して牙を剥く魔物や魔族といった異形の存在があるこの世界では、いざという時に知識よりも個々の実力がものを言うのだ。

 学業の成績だけが良くたって、どうしようもないことはある。


 夕刻まで定期的に鳴り響いている大鐘の音を合図にして、朝から学院の授業が始まる。教科ごとに異なる教師が生徒達の教室に訪れ、自分の受け持つ講習や講義を展開するのだ。

 殆どの授業では、提示された問題に対する回答や私的見解の発表、生徒同士で意見交換を行ったり、教師の説明と教科書の内容を照らし合わせ、必要事項を ノートに書き記すなどして様々なことを学ぶ。魔術師の学習施設という点を踏まえ、教師の監督の許で実戦形式の授業を行う科目も多数存在していた。


「あーあ……壊した機走浮盤のこと、親父に何て言ったら良いんだろ?」

 生徒が一日に受ける授業数や教科は曜日によって定められているため、午後に入ってすぐに授業を終えたラッドとソニアはのんびりと帰路に着いていた。

「僕の小遣いじゃ、どう考えても修理費には足りないし……っつか、貯めてないし……」

 故障した機走浮盤を引きずりながら、ソニアが苦々しげに空を睨む。壊れて外れた動力源の鉱石は、鞄の中だ。


「言い訳はお前が考えとけ。オレは明日の準備がある」

 学院の図書館で借りた本が詰まった紙袋を抱え、隣を歩くラッドはたしなめるように言った。

「あー……精霊召喚試験?」
「オレの場合分野の適性だけは精霊魔法だろうってはっきりしてるし、何でも良いから契約してさっさと魔法に目覚めろってことかな。今後の必修科目も、実技系だけ避けて通れるワケじゃないから……」

 国内ほとんどの魔法学校に共通することだが、ラッド達の通う学院で素質を持つ生徒数の比率が最も大きい魔術は、『精霊魔法』とよばれるものである。

「何だよ。まだ逢えてないとっておきの一体がいる、ってだけだろ?」
「その一体との出逢いを待つ時間が惜しいんだって。まぁ、仕方ないけど」

 この世界で暮らす人間の多くは、生まれつき扱うに相応しい魔法の素養を持っていると言われている。その中で少しでも精霊魔法を扱える可能性を秘めた者は、精霊と出逢い契約して初めて、自身に秘められた魔力を開花させることができるのだ。

 つまり精霊と契約するまでは一切の魔術を行使することができず、何ら力を持たない只人に過ぎないのだが、そんな人間の大半は幼い頃から精霊と触れ合い、戯れ、契約を交わして自らの能力に目覚めていた。


 そして彼ら、もしくは彼女らを含めた様々な分野の魔術師達を育成するためにティオルタ魔術学院は創設された。

 そこはあくまで“魔術師”のための学び舎であり、魔術師でない者が在籍していることはあり得ないのだ。

 たった一度の、例外を除いては。





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