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コロッケ

 ある時、薄汚れた子供に出逢った。

 上から下まで、泥だらけ。身にまとったぼろ布から覗く手足は痩せて、お世辞にもまともな家庭で育ったとは思えない身なりをしていた。

 魔物との間に起きた戦争の終結から、さほど時も経っていない。いまだ戦の爪痕が残った王国の現状を考えれば、親や家族を喪い路頭に迷う戦乱孤児の存在は、そう珍しくなかった。

 それでも、その日に限ってそんな些細なものが気になったのは、子供の目が生気と活力に溢れ、とても輝いていたからだろうか。

 不思議と興味を引かれたが、青年から見てこの子供はそもそも住む世界が違った。下手に人間へ干渉するのは望ましくないし、面白半分にそんなことをすれば、あるべき秩序が乱れる。

 だから、遠目に観るだけに留めていた。あの時、声をかけられるまでは──


 *


 光もろくに届かぬ闇の中を、四つ足の獣が駆け抜けて行く。只人の目には白い影としか分からないほどの速さで走る獣は、細い咆哮と共に風を切り、突っ込むように闇の合間から見えた光の先へと飛び出して行った。

 薄暗い森をようやく抜けた先には、とりどりの小花が揺れる白い敷石の街道が広がる。そして、春の淡い青空の下で数日ぶりの陽光を浴びる旅人達の姿があった。

「……まったく、信じられないくらい野蛮だな」

 二人の旅人のうち、そう肩を竦めたのは燃えるような赤毛を三つ編みに束ねた青年・レンである。

「只でさえ暗く魔物も盗賊も出る森で、大事なコンパスを失くした挙句、匂い玉に鼻をやられた馬鹿犬が道案内で迷走し、一日で抜けられるはずだった道中の通過にまるまる三日……おい、ここで俺に何か言うことは?」

 整った細面の眉間に皺を寄せ、レンがわざとらしく水を向けたのは旅の相棒である青年・ヴェルデだ。ヴェルデは癖の強い白髪に緑色のバンダナを巻き、服のあちこちに引っかかった細かい枝葉を払い落として首を傾げる。

「早く森を抜けたいって言ってただろ? ならもう走って突っ切るのが一番早いかと思ったんだけど、ダメだった?」

 レン自身嫌味が通じることに期待したわけではないが、まるで反省の色がない相棒に溜め息を吐かずにはいられない。それ以上怒る気も失せてきて、レンは言及するのをやめた。

 二人は現在、とある街へ向かっている。ギルドハンターとしての仕事を請け、それを解決するためだ。

 ギルドハンターとは、一定の機関とルールのもとで人々から集まる依頼を解決し、報酬を得る者達の総称である。一口に言っても、ちょっとした失せ物探しや噂の調査、特定の免許を取得して可能になる魔物退治など、依頼内容は多岐に渡っている。出自や種族を問われることはないが、ハンターの手腕によって収入が大きく変化する浮き草稼業とも言われていた。

「ともかく、街に着けば久々に宿で寝られるわけだし。気にすんなって……ん?」

 街道の先を指差すヴェルデに倣って、レンが首を動かす。前方には街の入り口であるアーチ型の門、その向こうに色鮮やかな屋根の家々が小さく見えていた。

「ほら、早く行こうぜ!」
「……なんでそんなに嬉しそうなんだお前は」

 レンが呆れ顔で問うと、ヴェルデはニッと八重歯を見せて笑う。

「あの街、楽しそうな音がするんだ。きっと何かいいことあったんだよ」


 並ぶ家屋の玄関先や出窓に吊るされた花の輪飾りが、風に揺れていた。夕刻には魔力の明かりが着く外灯にも様々な色合いのリボンが結ばれ、大道芸人が披露する陽気な楽の音が響き渡る。

 あちこちに立ち並ぶ露店や、その露店で買い物をする人々でごった返す大通りの風景。どうやらヴェルデの言う通り、この街では春の訪れを祝う祭が開かれているようだった。

 通りの一角から甘い匂いを漂わせている露店を見つけて、ヴェルデは即座に自分の財布の中身を確かめる。ふらりと立ち寄ろうとすると、後ろから襟首を引っ張られた。

「何すんだレン! あの焼き菓子、絶対おれに買われるの待ってる!」
『却下。依頼人と合流するのが先だ』

 あっさりと切り捨てられ、ヴェルデは小さく唸る。いい歳の青年が唇を尖らせる姿はかなり幼稚だが、不満を訴えようと振り返った先に相棒の姿はない。

 レンは、生まれつき不可視の霊体となって人々の目から身を隠す力を持っている。精霊に代表される、霊的種族の血を引くがゆえの特殊能力だ。人と変わらぬ姿を持つ彼がわざわざ姿を隠すのは好き嫌いによるところが大きいようだが、その独特な匂いはヴェルデのすぐ近くにあり、ヴェルデには姿を消していてもレンがそばにいるのだと分かった。

「相変わらず、人が多いとこ苦手なのな。しっかしすぐそこでこーんないい匂いがするのに、買い食いもできないとか地獄かよ……」

 空きっ腹を抱えがっくりと肩を落としたヴェルデは、ふと服の裾を掴んでいる子供の存在に気付いた。

「えーと……どうした?」
「じーちゃん」

 迷子だろうかと腰を落とした青年に対して、子供は突然衝撃的な発言をしてくれる。

「ごめんなー、人違い。おれ、オニーサンなのよ」

 ヴェルデは自分の白髪を示し、子供に目線を合わせた。

「ちがう、ちがう。ぼくのじーちゃん、さがしたいの」

 大きく首を横に振った子供の年齢は、およそ四、五歳程度。ところどころ擦り切れた古着を身に纏い、肩まで伸びた枯れ草色の髪はぼさぼさだった。大きな目を丸くしてヴェルデを見上げる姿は、どこか小動物めいている。

 中性的な顔立ちに加えて特徴的なのは、細長く伸びたその耳。エルフ族の血を引いているのが、すぐに分かった。

「おじいちゃん、どこか行っちゃったのか?」
「うん……おまつり、じーちゃんと見るってやくそくしてたの。いっしょにさがしてくれる?」

 確かにこの街は賑わっていて、一緒に見物に来た大人とはぐれてしまう子供がいるのも頷ける。俯く子供をじっと見つめた後、ヴェルデは自分の胸を叩いて見せた。

「ひとりぼっちって、心細いもんな。任せなよ!」

 言ってから、ヴェルデはそれとなくレンの反応を窺う。半ば勢いで快諾してしまったが、自分には買い食い一つ許してくれない狭量な彼でも、さすがにこの状況で迷子を見捨てるような真似はしない……はずだ。多分、きっと。

 レンは一歩引いて難しい顔のままヴェルデと子供を見ていたが、懐から折りたたんだ羊皮紙──本来この街で請けることになっている仕事の依頼書だ──を取り出してしばし眺めた後、再び懐にしまった。

 目顔で頷いたレンを見て、ヴェルデはほっと息を吐く。これでもし都合が悪ければ、レンには悪いが自分一人で子供の保護者を探すことも考えていたのだ。

「よし、決まり! おチビちゃん、名前は?」
「……ノワ」
「そっか。おれはヴェルデだよ」

 子供の頭を撫でると、ヴェルデは小さな手をそっと握って立ち上がる。そこで何かを思いついたように、ノワに尋ねた。

「そうだ、ノワは高いの平気か?」
「うん」
「じゃあ、こうしよう!」

 ヴェルデはノワを軽々と抱え上げ、肩車してやった。ノワは、途端高くなった視界に驚いてしきりに周囲を見回している。

「どうだい? よく見えるかー?」
「たかい……すごい!」

 中肉中背といった外見のレンと比べると、ヴェルデは長身で体格もしっかりしている。面倒見が良い性格や人好きのする表情も相まって、子供の相手をするには適任なのだ。

「このまま直進しまーす。ゆれますので、しっかりおつかまりくださーい」

「しゅっぱつ!」

 元気になったらしいノワは、すっかり上機嫌だ。ヴェルデが歩き出すのに合わせて、歓声を上げる。ヴェルデの隣に付いて行こうとしたところで、レンは自分の方を見つめるノワと目が合った。

「ねぇ、おなまえおしえてよ」
「んー? ヴェルデだよー」

 自分への質問だと思ったのか、前方に意識を向けたままのヴェルデが自己紹介を繰り返している。

 だがレンはノワの問いに一瞬目を見開き、眉間に皺を寄せた。無言の拒否を示すようにノワから目を逸らし、依頼書を確かめる。


 【私の養子に力を貸してください】


 そこには弱々しい筆致での端的な文面と、依頼人の「カイン・ストラール」という署名がある。そしてこの人物が指す養子であろう、ノワの肖像画が一緒に挟み込まれていた。

 ノワを肩に乗せてひとしきりはしゃいだ後、ヴェルデは通りがかった露店の前で立ち止まる。揚げ物を売る露店の主人に銅貨をいくつか渡し、ほくほく顔で白い包み紙を受け取った。三つのうち一つを、ノワに差し出す。

「おにーちゃん、ホントにいいの?」
「おう、熱いから気を付けて持つんだぞ」
「……ありがと」

 広場に設えられた手近な長椅子に、揃って腰を下ろす。包み紙を開くと、油の香ばしい匂いが鼻先を掠めた。

 潰した芋と炒めたひき肉をまとめ、パン粉をつけて揚げた『コロッケ』は、持ち運びしやすく祭でも人気の一品だ。ヴェルデは小さい頃からこの揚げ物が大好きだった。

 遠慮がちにコロッケを齧るノワより、むしろヴェルデの方が嬉しそうに感じるのは気のせいではないと思う。そっと自分の分を受け取りながら、さては子守りをダシにしたかとレンは少しだけ邪推する。

──味もこれで悪くない。現世の食文化もずいぶんと進歩、あるいは回復したものだ。


「これ、おいしい! じーちゃんにも、たべさせてあげたいな」
「むぐむぐ……ノワのおじいちゃんって、どんな人なんだ?」

 一口でおよそ半分ほどの量を頬張りながら、ヴェルデがノワに尋ねる。ノワはぱっと笑顔になった。

「じーちゃん、とってもつよいの。森でやっつけたどうぶつから、皮とか、ほねとかお肉をもらって、それを売ったりしてた」
「猟師ってやつ?」
「うん、それ。森のことなんでも知ってるみたいに、すごくものしり」

 武器と罠、それに地の利を使いこなし、仕留めた獲物から得た戦利品で生計を立てる狩人。ノワの祖父は、孫が胸を張って自慢するほどの腕前を誇っていたらしい。

 家族や身近な誰かを誇れるのは、きっと幸せなことだ。

「ノワはおじいちゃんが大好きなんだな」
「うん! でも……」

 しかしノワの表情からはそれまでの笑顔が消え、弱々しい声音になった。

「さいきん……じーちゃん、あまり元気がなかったの。おむかえがくるからだって」
「……え?」
「それでじーちゃん、おとといからねむったまま、おきてくれなくなって……まちのきょうかいの人たちがきて、むずかしいこと言ってた。よく分かんなくて、ぼくがかわりにじーちゃんのしごとやるんだって、森にいって、かえってきたらいなくなっちゃってた」

 咄嗟に答えることができず、ヴェルデは言葉を詰まらせた。子供特有の説明からヒントを拾い上げ、意味を反芻する。

「だからぼく、じーちゃんをさがしにきたの。おむかえの人とどこにいっちゃったのか、分かんないけど。いっしょにおまつり見るって、やくそくしてたから……じーちゃんきっとここにきてる」

 何と言ってやればいいのか分からず、ヴェルデは黙り込んだ。状況からして、おそらくノワのもとを訪れたのは教会に仕える聖職者達だろう。天命を迎え、逝った人間を弔うために。

 しかしノワは一点の曇りもなく、祖父が約束したこの祭に来ていると信じているのだ。死という概念の意味を理解できぬまま──


「……喉乾いてないか?」

 我ながら下手な言い訳だなと思いながら、ヴェルデは一旦長椅子を離れた。ノワから見えない木陰まで来ると、すぐ近くに感じた気配へと声をかける。

「あのさレン。勝手して悪いんだけど、ノワのことで……」
『お前の好き勝手なんていつものことだろう。依頼人はあのガキの養父だ。己の寿命を悟って、この依頼を出していたのか……アイツに力を貸してくれ、とな』
「力って、何のだ?」
『さぁな。ギルドマスターの名指しで仕事が来たからには、俺向きなのかもな。子供関係という点を踏まえれば、お節介な性格のお前にも。ただ……』

 しばし逡巡するような間を置き、レンは告げる。おそらく苦い表情を浮かべているだろうというのが、ヴェルデには分かった。

『あのガキ、顕現してもいない俺が視えてる。生来魔力が高いエルフ族だからだと思っていたが……話を聞く限り、今のままだとまずいぞ』
「は? っつか、まずいってのは具体的にどういう……」
『依頼人と、俺の懸念が一致していると仮定した場合。厳密に言って誰が請け負うか分からないギルドにわざわざ頼むくらいだ、依頼人にあのガキについて相談するような縁者がいる線は薄いと見るべきだろう。となれば、取り残されたガキの状況が悪い方向に転ぶ可能性は、いくらでも考えられる』

 本来この世の住人ならざる者の目に、何が視えているのか。レンの言葉はどうしようもなく不吉な響きを孕んでいる。

『あるいは、気力の方か。下手をしたら糸が切れて、死の世界に引きずり込まれるぞ』
「冗談だろ!? まさかそんなこと……!」
『絶対ないと言い切れるか? 実際、精神状態としてはかなり危ういと思うが』

 根本的に人を活かし命に光を灯すのは、意志の力だとレンは考えている。死の何たるかも知らぬほど幼いノワが、受け入れがたい孤独と喪失感から、知らず祖父の後を追ってしまう可能性を疑っているのだ。

『病は気から、という言葉もある。大きすぎる絶望は災いを呼び寄せるんだ。まして昔よりマシとはいえ、悪魔も悪霊もいる世の中。身寄りを亡くした幼子なんて格好の餌食だろう──悪意ある人間にとってもな』

 最悪の事態を想像して、ヴェルデは青ざめた。

『最初から俺の推測が間違っているならそれでいいが、あのガキには確かに予兆がある。依頼のこともあるしな』

 一見何もない虚空に、ぴらりと依頼書が現れる。ヴェルデはレンの声を聞きながら手に取った紙を広げ、覗き込んだ。震えたような細い筆跡を指先で辿る。

 弱った身体で、それでも懸命にノワを想って書いたのだろうと思わせる、短い依頼内容。

 祖父の話をしていた時の、ノワの笑顔を思い浮かべる。他に頼るべき相手を持たないとすれば、ノワの祖父は己の寿命を悟った時、一体どんな気持ちだったのだろう。

「何とかしねぇと、何とか……」

 残されたノワに、何か自分ができることはないだろうか。

 顔を見ることができなかった依頼人の願いを、少しでも汲み取ろうと頭を巡らせる。しばらく考え込んだ後、ヴェルデは頭を上げた。

 まだノワに出逢ったばかりの自分にできることは、少ないけれど。自分を慕ってくれているノワの未来が暗くなるのは嫌だった。

「レン、悪いんだけどちょっと……」
『さっきも聞いた。おい、来てるぞ』

 レンが顎で示す先を見て、ヴェルデは目を丸くする。二人の前に、いつの間にかノワが立っていた。

「……ノワ」
「おにーちゃん、もどってこないから」
「ごめんな、ひとりにして」

 ヴェルデが謝ると、ノワは頭を振ってレンを見上げた。

「さっきもあった。このあかい人、おにーちゃんの、おともだち?」

──やはり、この子供には自分が視えている。だからこそ、姿を消している状態でなお子供の視界に入らないようにしていたのだが。

 何か言おうとしたヴェルデを制し、レンは半ば諦めたように術を解いた。微弱な魔力の風が、長い三つ編みを揺らす。

「……レンだ」
「ぼく、ノワだよ」

 ヴェルデは地面に片膝を着くと、小さな肩に両手を置きノワを正面から見据えた。

「おじいちゃんがいる場所、分かったんだよ。これからそこに行くんだけど……」
「ほんと!? ぼくも行く! つれてって!!」

 祖父のことと聞けば一も二もなく頷いてしまうノワに対し、少々心配になる。

 それでも、結局レンは元よりヴェルデに出せる答えはこれしかないのだ。ノワの手を引いて、ヴェルデはレンと共に大通りの方へと歩き出した。


 二人がノワを連れて訪れたのは、中央通りから一本外れた道にある古めかしい教会だ。白煉瓦で築かれた建物にはところどころに細い蔦が張っており、その外観は手入れが行き届いていながらもどこか年季を感じさせる。また礼拝堂には採光窓からの光が差し込み、入り口正面の壁一面に飾られたステンドグラスの模様を床に写し取っていた。

 礼拝客用に整えられた長椅子の列の向こう、祭壇を前に祈りを捧げるシスターが目に留まる。

「ようこそ。礼拝に来られた方ですか?」
「……うん、まぁ」

 三十代後半から四十代頃といった印象のシスターは、穏やかな物腰で旅人二人を出迎えた。ヴェルデに隠れるように立つノワの姿を認め、笑みを深める。

「ノワくん、だったわね」
「……えっと、こんにちは」

 先日逢っていたことを思い出したのか、ノワはシスターにぺこりと頭を下げた。

「……ノワくん。おじいさんのことは残念だったけれど……困ったことがあれば、言ってちょうだいね」
「ざんねん? なにが? ……じーちゃん、ここにいないの?」

 何のことかもまるで分かっていないノワを見て、シスターは痛ましげな表情を浮かべた。ノワを気遣い言葉を探している様子のシスターに、レンが進み出る。

「ノワとその祖父のことで、話がしたい。良いだろうか」
「あなた方は……?」
「カイン・ストラール氏から依頼を……請けている、ギルドハンターだ」

 シスターはヴェルデとレンを見て、少々怪訝そうに首を傾げた。

「カイン様の? あなた方は変わった気配をお持ちのようですけど、その、どんな……」
「ノワに力を貸してやってくれ、って頼まれたんだ。変わった気配ってのは……多分コレ」

 ヴェルデはそこで、頭に巻きつけたバンダナをするりと解いてみせた。癖のある白髪の隙間から、ふさふさした白狼の耳が露わになる。それは人と獣が混ざり合ったような容姿に加え、獣に変化する能力を持つ獣人族の証だ。

「おれは、人間じゃないんだ。ノワを心配してるのは本当だけど」

 頭を下げている横で、レンが舌打ちでもしそうな顔でこちらを一瞥したのが分かった。シスターが微かに息を呑む気配に、ヴェルデは「失敗したかな」と一瞬内心で考える。

──様々な種族が共存しているこの世界において、しかしヴェルデをはじめとした獣人族の立場は微妙だ。元々変身能力を持つ獣人族に対し、「忌むべき血を引く魔物の眷属」と忌避する人間は一定数存在していた。だが人間と魔物の間に勃発した王国での大戦以降、人から獣人族に対する嫌悪の感情は激化し、王国の一部のみならず世界のあちこちに飛び火したという。

 それでも、ヴェルデは自分の身元を明かした。そうすることで少しでも誠意を尽くし、依頼の成功率を上げたいと思ったのだ。

「うわぁ……おにーちゃんのみみ、おおかみさん! さわりたい!」
「依頼人に逢うために来たんだ。この教会で合ってるなら、案内してほしい……いててて」

 興奮したノワにもみあげを掴まれ、ヴェルデは苦笑いする。シスターは少しだけ戸惑っていたが、戯れている二人を見て、神に祈るように両手を組み合わせた。

「……我々の教会が信ずる神は、世界に生まれ来る命を種族だけで審判することはありません。ご案内しましょう」


 ノワを抱き上げたヴェルデとレンは、シスターの案内で教会の裏手に位置する墓地に通された。暖かい日差しが当たる芝生には様々な意匠をかたどった大理石の墓が整然と並び、そのうちいくつかには死者の魂を慰めるように花束が供えられている。

 先頭を歩いていたシスターが足を止め、一つの墓へと向き直ったのを見たヴェルデは、ノワの身体をそっと下ろした。

──カイン・ストラール。

 真新しい墓碑に刻まれている字を読むことができないのか、ノワはシスターのローブとヴェルデの上着の裾を引く。

「ねぇ。これ、なに?」
「……これは」
「二度と逢えない人間を、忘れないための印。墓だ。……じいさんは、もうこの世にいない」

 言い淀んだ相棒をあえて遮るように、レンが言い切った。ノワの瞳が、驚愕に大きく見開かれる。

「……なんで? なんで、いないの? どうして!?」
「命っていうのは、元々時間が限られるものだ。どうしようもないこともある……そう、じいさんに聞いたことはないか?」

 ノワはレンを前に、絶望したような顔になる。冷たく感じられるが、レンの言葉は紛れもない真実だ。

 それでも「絶対に信じるものか」と言わんばかりにしがみつくノワに、ヴェルデもまた首を横に振った。

「ノワ。どんなに大好きな人がいても、大好きだって言ってもらえてても、お別れしなきゃいけない時は必ず来るんだ」
「わかんないよ、そんなの! うそつき、うそつき!!」

 いやいやと拒絶するノワに、ヴェルデは下唇を噛む。上手く言葉をかけてやれない自分がもどかしい。これではノワの喪失感を倍増させるだけではないのか。依頼人を埋葬する際一度説得に失敗しているためか、シスターも悲痛な顔で黙り込んだままだ。

 と。ノワに掴まれた胸元から、くしゃりと乾いた音がした。懐から折り畳んだ依頼書を見つけて、ヴェルデは目を細める。

「ノワ、これ見ろ」

 ノワと、依頼人の間にある絆を信じるなら。字は読めなくても、きっと伝わるものがあるはずだ。

 ヴェルデが広げた依頼書に、ノワはじっと見入った。

「……ふるえてる。じーちゃんの、字?」
「あぁ。お前をひとりにするのは嫌だ、って書いてある。身体を動かす元気もなくなって、おじいちゃんが一番不安だったはずだろ? こんなへろへろの字しか書けなくなってても、大好きなノワがひとりぼっちになるのを心配して、おれ達に手紙をくれたのさ」
「ぼくのこと……」

 実際にはヴェルデの解釈が多分に含まれていたが、嘘も方便だ。逢うことができなかった以上、厳密な状況は推測することしかできない。依頼人の想いが、この紙一枚を通じてノワにどれほど伝わってくれるだろうか。

「おじいちゃんも、ノワが大好きだったんだ。だから自分がそばにいられなくなっても、ノワに笑っててほしいんだよ」

 これでいいのだろうか。自分は、言葉選びを間違ってはいないだろうか。そんな不安を抱えるヴェルデの祈りが通じたかのように、ノワの手から力が抜ける。

「……じーちゃん……ほんとに、もう……あえないんだ……」

 死というものを、完全に理解したわけではないだろう。それでもノワなりに納得して、タガが外れたのか。その両目から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。

 シスターがハンカチを手に取り、ノワの顔を拭う。子供はシスターに抱きつき、大声を上げて泣いた。泣いて泣いて、泣き続けた。子供が泣き止むまで、ヴェルデもその頭を無言で撫でる。


 やがてノワが目を真っ赤に腫らし、すすり泣きまで静まる頃には、赤い青年の姿はその視界から消えていた。



 ノワが祖父の墓前で大泣きしてから、およそ三日。レンとヴェルデは街を出発し、再び街道を歩いていた。

 依頼の完遂手続きには、少々時間がかかった。というのも依頼した本人が亡くなっていたため、曖昧な依頼内容の何を以って解決とするか、ギルド本部の方で少々解釈が割れたらしい。この話を後から聞いたレンは「今更だな」と鼻で笑った。

「依頼人はあのガキのことを、『お願いします』でも『助けてほしい』でもなく、『力を貸してくれ』と書いた。なら、おそらくこれでいい」
「あぁ。ノワなら大丈夫だよ」

 ヴェルデも迷うことなく、レンに同調する。

 ようやく祖父の死を自覚したノワの悲しみは、二人の想像以上だろう。彼の様子を見るという意味で、手続きの遅れもヴェルデ達にとって都合がよかった。

 祖父と二人で暮らしていたらしいノワの引き取り先についてどうなるかが気がかりだったが、ノワは今回の件で教会に保護されることになったという。ここならじーちゃんを近くに感じられるから、と本人がようやく同意してくれたのだと、シスターが話していた。少しずつでも、進もうとしているのだ。

 そんな一連の顛末が分かった後、ギルドの手続きが完了し街を去る時になって、ヴェルデはノワに自分達の名前と所属ギルドを書いた紙を渡した。

「字が分からなきゃ、シスターに読んでもらいな。もしノワが何か困った時には、おれが駆けつけてやる。で、きっとノワの力になるから。な?」

 噛んで含めるように言い聞かせたヴェルデに、ノワは大きく頷いた。

「うん、やくそく。レンおにーちゃんにも、ありがとうってつたえてね」


「レンも自分で言ってたじゃん。要は、気力なわけよ」

 ここ数日のことを思い出して、ヴェルデは口を開く。

「少しでも本人に活力があれば、お前の……死神の予知だってはね返せるんだって」

 赤い死神、もといレンは黙って肩を竦めた。教会なんて場所にいる手前口に出せなかったが、レンが本来死者の魂を導き昇華する力を持つ死神族だなどと知ったら、あのシスターはどんな反応をしただろうか。

「励ましの言葉でも、美味いものでもいいんだよ。だから街出るまでノワ甘やかしてやったし」
「祭の間じゅう、子供連れて食べ歩きしていたのがそれか。本当に好きだな」
「当たり前よ。お前だって食ってたじゃん、コロッケ」

 心の傷を癒すのは、ささやかな日常と小さな幸せの積み重ねだとヴェルデは思う。レンはノワの精神が危ういとしていたが、それはあくまでノワが孤独だった場合のことだ。

「案外、人ってのはひとりじゃないもんだ。お前が昔、餓死しかけてたおれを助けてくれたみたいにさ」
「……うっかり餌付けなんかしたばかりに、死神の掟を破ってこんなデカい犬を連れ歩く羽目になるとはな」

 レンは途端、苦虫を噛んだように渋い顔をする。荒んだ環境下で死期が迫った獣人の仔に情が移り、助けてしまったせいで、罰として死神としての力をほとんど失った過去はまだ記憶に新しい。

 死神とはその名の通り、冥府に通じ死者を導く力を持った者の血族。命の生死そのものに手を貸すことは、本来絶対の禁忌とされているのだ。

「おれが言うのも何だけど、諦めなよ。実際、やっちゃ駄目なことばっかりだった昔より楽しいだろ?」

 当時のことを思い返しているレンを見て、ヴェルデはけらけらと笑う。

「その餌付けのコロッケ一つが縁で今じゃコンビにまでなってんだから、ほんと分かんないよな」

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